五代友厚 英国視察旅行(足跡篇)
Godai Tomoatsu, A Tour of Observation around Britain (Footprints)

マンチェスター(Manchester)を起点にオールダム(Oldham)、マクルズフィールド(Macclesfield)、オルダリー・エッジ(Alderley Edge)、ストックポート(Stockport)の町を訪ねました。五代友厚がストックポートを訪れたという確実な資料は見つけられないのですが、ストックポートはマンチェスター中心部から10キロ余りと近く、19世紀は織物や帽子産業で町が大きく発展した時期でした。また、五代らが薩摩藩のために購入した紡績機械一式のうち織機(weaving looms)には「べリスフォード・エンジニアリング社、ストックポート(Berrisford Engineering Co. Stockport)」の刻印があります。工場が建ち並び運河が通るこの町にも、時間さえ許せばきっと足を運んでいたのではないかと思います。

I visited the towns of Oldham, Mcclesfield, Alderley Edge and Stockport from Manchester.  Stockport was the city expanded rapidly in the 19th century with the growth of cotton and hat industries.

マンチェスターとその周辺
マンチェスターとその周辺 Manchester and its surroundings

マンチェスター・ピカデリー駅(Manchester Piccadilly Station)からストックポート駅まで電車で約10分、バスもたくさん出ていて渋滞に巻き込まれなければ30分ほどで到着します。駅とバス・ターミナルは少し離れています。小さな町なので歩いて回れますが、中心部は高台にあって坂が多いため、場合によってはメトロシャトル(Metroshuttle)という無料バスを利用するのもよいかもしれません。

バス・ターミナルから見える高架橋(Stockport Viaduct)です。美しいアーチが連なる煉瓦造りの建造物で、1840年に建てられました。高さは111フィート (34メートル)、バーミンガム(Birmingham)やロンドン(London)に通じる鉄道が走っています。

ストックポート高架橋
ストックポート高架橋 Stockport Viaduct

同じくバス・ターミナルそばにある帽子博物館(Hat Works Museum)。ストックポートはイギリス帽子産業の中心地でした。長い煙突が印象的な博物館の建物は、バターズビー(Battersby)という帽子会社の工場を転用したものです。

ストックポート帽子博物館
ストックポート帽子博物館 Stockport Hat Work Museum

バス・ターミナルから町の中心に向かって歩いていくとセント・ピーター教会(St. Peter’s Church)の前を通ります。1768年に建てられたストックポートで二番目に古い教会です。

セント・ピーター教会
セント・ピーター教会 St. Peter’s Church

町の中心には、12世紀からこの地にあるというストックポートで一番古い教会、セント・メアリー教会(St. Mary’s Church)や13世紀から続く市場(Stockport Market)があります。賑やかな市場に面して観光案内所があり、土産物も置いています。

ストックポートのセント・メアリー教会
セント・メアリー教会 St. Mary’s Church

ひときわ目を引くガラス張りの屋内マーケット(Market Hall)。ガラス張りになったのは1860年代だそうです。

ストックポート・マーケット
ストックポート・マーケット Stockport Market

ストックポートの屋内マーケット

教会のカフェにも屋内マーケットのカフェにもご老人が集いおしゃべりに花を咲かせていました。

1838年創業のロビンソンズ・ビール醸造所(Robinsons Brewery)です。古いレンガ造りの建物がそのまま残っていて、現在も操業を続けています。見学ツアーもあるようです。

ロビンソンズ・ビール醸造所
Robinsons Brewery

駅へ戻る途中にある立派な建物はストックポート市役所(Stockport Town Hall)です。1908年に建てられたので、五代友厚らがイギリスにいた1865年にはまだありませんでした。

ストックポート市役所
ストックポート市役所 Stockport Town Hall

細い坂道に煉瓦作りの古い建物がたくさん残る小さな町です。機会があれば、次はストックポート周辺の運河沿いも歩いてみたいです。

<住所>
帽子博物館(Hat Works Museum):Wellington Mill, Wellington Rd S, Stockport SK3 0EU
セント・ピーター教会(St Peter’s Church):St Peters Square, Stockport SK1 1NZ
セント・メアリー教会(St Mary’s Church):Churchgate, Stockport SK1 1YG
ストックポート・マーケット(Stockport Market):Market Place, Stockport, Cheshire, SK1 1EU
ストックポート観光案内所(Stockport Tourist Information Centre):30/31 Market Place, Stockport, SK1 1ES
フレデリック・ロビンソン社ユニコーン醸造所(Frederic Robinson Ltd., Unicorn Brewery):Lower Hillgate, Stockport SK1 1JJ
ストックポート市役所(Stockport Town Hall):Edward St, Stockport SK1 3XE

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五代友厚 英国視察旅行(2)
Godai Tomoatsu, A Tour of Observation around Britain (2)

アバディーン・ジャーナル1865年8月30日 Aberdeen Journal 30 August 1865
アバディーン・ジャーナル1865年8月30日 Aberdeen Journal 30 August 1865

1865年8月30日付アバディーン・ジャーナル紙(The Aberdeen Journal, 30 August 1865)には、グラバー商会が注文した船「Owari」の進水式が22日火曜日に行われたという記事があり、英国滞在中の4人の日本人士官がこれに立ち会ったと伝えている。この4人が五代友厚、新納久脩、堀孝之、磯永彦輔であった可能性は高い。「Owari」はこの後日本に売却され千歳丸(二代目)と命名された。ちなみに、五代友厚がこれより前に上海へ渡航した折に乗り込んだ船の名も千歳丸(初代)である。

ロンドンに戻る途中と思われる慶応元年7月20日(新暦1865年9月9日)には、五代らがマンチェスターの南約25キロのオルダリー・エッジ(Alderley Edge)の銅山を見学したことが新聞で報じられている。ロンドン帰着後すぐフランスのシャルル・ド・モンブラン(Charles de Montblanc)がやってきて、それから間もなく彼らはヨーロッパ大陸に出かけた。薩摩藩留学生のひとり森有礼が兄、横山安武に宛てて書いた手紙に、五代らが「大ブリタニア中之廻国に出越有之五日已前ニ帰着相成、又々仏蘭及ひ独逸和蘭等の諸国を遍歴し其後英ニ復帰し、然後帰国之賦御座候」とあるから、ロンドンには5日以上滞在したようである。

五代らのヨーロッパ大陸出発は7月24日(新暦9月13日)という説もあるが、オルダリー・エッジを訪れた7月20日(新暦9月9日)の翌日にロンドンに戻ったとしても出発まで5日に満たない。一方、五代友厚が桂久武に宛てて書いた手紙には「八月二日、竜動(=ロンドン)府を発し『ヴェルギー』国都府より、独逸列国孛漏生(=プロシア)都府、和蘭諸所一周」とある。慶応元年8月2日(新暦1865年9月21日)は木曜日で、五代自身が記した『廻国日記』の「水曜日。朝、竜動客舎を立て、七時半発車」の記述とは曜日にずれが見られるが、日程的には8月1日もしくは2日に出発したとみる方が無理はなさそうだ。

The Aberdeen Journal reported on 30th August 1865 that four Japanese officers attended the launching ceremony of the vessel ordered by Messrs. Glover. Godai returned to London around 10th September 1865, and soon after, they left for Continental Europe for another inspection tour.

<参考文献>
大久保利謙「五代友厚の欧行と、彼の滞欧手記『廻国日記』について」『史苑/立教大学史学会編』1962-01
大久保利謙監修『新修森有禮全集第4巻』「畠山義成洋行日記抄」「英國新聞記事集」1994年
大久保利謙編『森有禮全集第2巻』1972年
勝部真長他編『勝海舟全集13』1974年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
The Aberdeen Journal, 30 August 1865

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五代友厚 英国視察旅行(1)
Godai Tomoatsu, A Tour of Observation around Britain (1)

英国1865年 The British Isles 1865 (Edward Stanford, David Rumsey Historical Map Collection)
英国1865年 The British Isles 1865 (Edward Stanford, David Rumsey Historical Map Collection)

慶応元年6月19日(新暦1865年8月10日)、五代友厚と新納久脩(にいろひさのぶ)、堀孝之、ライル・ホーム(Ryle Holme)の4人はイギリス国内を巡る視察旅行に出発した。1865年8月28日付ロンドン&チャイナ・テレグラフ紙(The London & China Telegraph, 28 August 1865)によると、一行は製造業が盛んなマンチェスター(Manchester)、バーミンガム(Birmingham)、マクルズフィールド(MacClesfield)などを視察し、今はアバディーン(Aberdeen)を初めとするスコットランドの名所を訪れていると伝えている。

薩摩藩留学生の中で最年少だった磯永彦輔が、ロンドンを出発してアバディーンに向かったのが慶応元年6月28日(新暦1865年8月19日)だった。磯永は当時まだ13歳で他の留学生とともに大学に入るには幼すぎたため、長崎で貿易業を営んでいたトーマス・グラバー(Thomas Glover)の実家に世話になりながらアバディーンのギムナジウム(Gymnasium)に通うことになった。

アバディーンはスコットランドでもかなり北の方だから、当時の列車では途中どこかに宿泊する必要があっただろう。磯永の年齢とイギリスに来てまだ2ヶ月という時期から推し量るに、彼がアバディーンまでたったひとりで旅をしたとは考えにくい。五代らは6月28日(新暦8月19日)にマンチェスターにほど近いマクルズフィールドを訪れていることが新聞により伝えられているので、マンチェスターあたりで落ち合ってスコットランドまで行動を共にしたとは考えられまいか。もしくは、イギリスに上陸した留学生たちを初めてロンドンで出迎えたトーマス・グラバーの兄ジム・グラバー(Jim Glover)あたりが付き添ったのか。

Godai Tomoatsu, Niiro Hisanobu, Hori Takayuki and Ryle Holm left London on 10th August 1865, to inspect the major industrial cities in Britain. They probably travelled up to Aberdeen with Isonaga Hikosuke, who entered the Gymnasium in Aberdeen.

<参考文献>
犬塚孝明 『薩摩藩英国留学生』1974年
大久保利謙監修『新修森有禮全集第4巻』「畠山義成洋行日記抄」「英國新聞記事集」1994年
The London & China Telegraph, 28 August 1865

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