五代友厚 オールダム(足跡篇)
Godai Tomoatsu, Oldham (Footprints)

19世紀にプラット・ブラザーズ本社があったマンチェスター近郊の町、オールダム(Oldham)に行きました。プラット・ブラザーズ社は当時繊維機械製造メーカーとして世界に名を馳せ、最盛期には7000人を雇用していたといいます。五代友厚らはここの紡績機械を購入し、あわせてイギリス人技師7人を雇い入れました。

I visited Oldham, the suburbs of Manchester, where the world’s largest textile machinery manufacturer Platt Bros. & Co. had its headquarters in the 19th century.  Godai Tomoatsu purchased Platt’s cotton-spinning machinery for Satsuma, Japan.

マンチェスター・ビクトリア駅からオールダムまでトラムで20分程度です。途中たくさんの煙突がそびえたち、紡績が盛んであった頃の面影を見ることができます。

マンチェスターのトラム
マンチェスターのトラム (Manchester Tram)

オールダム・セントラル(Oldham Central)の駅で降りると、目の前に大きなスーパーマーケットが見えます。スーパーマーケット沿い東側の道を入ってすぐのところにオールダム美術館(Gallery Oldham)があります。建物1階は図書館で、2~3階が美術館です。オールダム美術館では2015年に薩摩藩留学生渡英150年を記念して、薩摩焼の器などを展示していたようです。

オールダムに関連する紡績関係の資料が展示されています。

プラット・ブラザーズ社のプレート
プラット・ブラザーズ社のプレート (The Plate of Platt Bors., Gallery Oldham)

19世紀のオールダムの町を撮ったパノラマ写真です。工場と煙突が所狭しと建ち並んでいます。

オールダムのパノラマ写真
オールダムのパノラマ写真 (The panoramic photograph of 1879, Gallery Oldham)

町の中心部から南西に歩いて20分ほどのところにワーネス(Werneth)という地区があり、この一角にプラット・ブラザーズ社の社屋と工場が残っています。往時の繁栄がしのばれる巨大な煉瓦造りの建物が並びます。

ハートフォード・ワークス
プラット・ブラザーズ社のハートフォード・ワークス (Hartford Works of Platt Bros. & Co.)
元プラット・ブラザーズ社の建物群
元プラット・ブラザーズ社の建物群 (Buildings of former Platt Bros. & Co.)

フェザーストール・ロード・サウス(Featherstall Road South)という通りに面したブース・ハウス(Booth House)にプラット・ブラザーズ社の本社がありました。現在はいくつかの会社が入ったオフィスビルになっています。

ブース・ハウス
ブース・ハウス (Booth House)

マンチェスター市内に戻って、マンチェスター科学技術博物館(Museum of Science and Industry, Manchester)に行きました。

綿紡績・織物工場を再現する大型機械一式が展示されています。一日数回デモンストレーションがあるので、実際に動く様子も見学できます。機械が動くときの大騒音と綿ボコリから、当時の紡績工場の過酷さが想像できます。なぜマンチェスターで綿業が盛んであったかというと、港が近いことはもちろん、湿度が高めで気候的に綿の加工に向いていたことも大きな要因とのことでした。

19世紀の紡績機械
19世紀の紡績機械(Spinning Machinery displayed in the Museum of Science and Industry, Manchester)

マンチェスター科学技術博物館は、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道(Liverpool and Manchester Railway)のマンチェスター側終着駅リバプール・ロード駅(Liverpool Road Station)の跡地につくられました。蒸気機関車が列車を牽引し乗客を運んだ世界初の鉄道で、1830年に開通しました。

マンチェスター科学技術博物館に残されている線路
マンチェスター科学技術博物館に残されている線路(Railway Line preserved in the Museum of Science and Industry, Manchester)

広大な博物館の敷地には、産業革命に関するコレクションに加え、駅舎や線路、開通の年に建てられた倉庫なども残されています。

1830倉庫
1830年の倉庫 (1830 Warehouse in the Museum of Science and Industry, Manchester)

蒸気機関や機関車の実物が数多く展示されています。

マンチェスター科学技術博物館の機関車
マンチェスター科学技術博物館で展示されている機関車 (Locomotives displayed in the Museum of Science and Industry, Manchester)

19世紀の一等客車。まだ馬車の形そのままです。

19世紀の一等客車
19世紀の一等客車 (1st-class carriages, Museum of Science and Industry, Manchester)

航空機の展示もありますが、時間が足りず見ることができませんでした。

マンチェスター科学技術博物館の航空宇宙館
マンチェスター科学技術博物館の航空宇宙館(Air & Space Hall, Museum of Science and Industry, Manchester)

これだけ多くの大型機械や乗り物がそのままのかたちで展示されている博物館はなかなかありません。しかも無料です。産業遺産に興味のある人であれば、一日では足りないぐらい見応えのある博物館だと思います。

<住所>
オールダム美術館(Gallery Oldham):Oldham Cultural Quarter, Greaves St, Oldham OL1 1AL
元プラット・ブラザーズ社(Platt Bros. & Co. Limited):Booth House Trading Estate, Featherstall Road South, Oldham, OL9 7TU
マンチェスター科学技術博物館(Museum of Science and Industry, Manchester):Liverpool Rd, Manchester M3 4FP

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五代友厚 オールダム(2)
Godai Tomoatsu, Oldham (2)

鹿児島紡績所
鹿児島紡績所 The Kagoshima Spinning Mill(双日歴史館)

鹿児島紡績所(The Kagoshima Spinning Mill)立ち上げのため、機械と同船したジョン・テトロー(John Tetlow)のほか、司長としてエドワード・ホーム(Edward Holme)、技師としてシリングフォールド(Shillingford)、サトクリフ(Sutcliffe)、ハリソン(Harison)ら5名が鹿児島に相次いで到着した。任務はそれぞれ、汽缶部1名、混打綿部1名、梳綿1名、粗紡1名、堅針1名、斜針1名と監督であった。

これら少なくとも7名のイギリス人のため、薩摩藩は鹿児島紡績所の一角に白いペンキ塗り二階建の立派な洋館を建設し、相当の給与を支払い、十分優遇につとめたが、技師たちは雇用契約期間の2〜3年を待たずに帰国したという。薩摩藩職工の習得が早かったこともあるが、イギリス人技師たちが幕末の動乱に不安を感じたことも一因のようである。

エドワード・ホームは、五代らの渡欧に随伴していたライル・ホーム(Ryle Holme)の伯父(兄ともいう)で、その関係もあって司長として選ばれたのかもしれない。彼は紡績所を離任してすぐ、グラバー商会(Glover & Co.)で働いていたフレデリック・リンガー(Frederick Ringer)とともにホーム・リンガー商会(Holme, Ringer & Co.)を長崎に設立した。

鹿児島紡績所は、結果として経営的には一貫して振るわなかったが、紡績所の祖となり、多くの雇用を創出した。また、明治時代になるとその経験をいかして大阪の堺に分工場を設け、大阪綿業の基礎をつくった。五代は堺紡績所の設立にも大いに関わっている。

Edward Holme, the leader and the other six engineers were dispatched to Japan by Platt Bros. & Co., in order to establish the Spinning Mill in Kagoshima.  They set the machines in motion which Godai and Niiro ordered in Britain .

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<追記 2021年8月21日>
ブログをお読みいただいた方から、エドワード・ホームはライル・ホームの兄弟である旨ご教示いただきました。Edward Zohrab Holmeと言って、Zohrabは母親の旧姓とのこと。ライルは1900年まで日本にいましたが、エドワードは比較的早い時期にイギリスへ帰国し、1890年代にはボーンマスに家があって、姉とその息子も一時期そこに住んでいたそうです。

五代友厚 オールダム(1)
Godai Tomoatsu, Oldham (1)

プラット・ブラザース社の紡績機械
プラット・ブラザーズ社の紡績機械カタログ Spinning Machinery Catalogue, Platt Bros. & Co. (The Illustrated London News, 9 August 1862)

五代友厚らが薩摩藩のために購入した紡績機械は、イギリスのプラット・ブラザーズ社(Platt Bros. & Co.)製のものである。プラット・ブラザーズ社は世界最大手の繊維機械製造会社で、マンチェスター(Manchester)近郊の町オールダム(Oldham)に工場があった。五代らは慶応元年(新暦1865年)夏に初めてマンチェスターを訪れ、約3ヶ月後に再びマンチェスターに出向き、慶応元年11月23日(新暦1866年1月9日)に購入契約を交している。

購入した機械一式には、プラット・ブラザーズ社製品のほか、べリスフォード・エンジニアリング社(Berrisford Engineering Co.)の織機(looms)やレン&ホプキンス社(Wren & Hopkins)の軸系(shafting)も含まれていた。契約自体は、マンチェスターのエド・ブラザーズ社(Messrs. Ede Brothers & Co.)を通して行ったようである。

誂え品で生産に数カ月を要したため、薩摩藩の紡績機械をのせたレディー・アリス号(Lady Alice)が出帆したのは慶応2年5月27日(新暦1866年7月9日)であった。船は喜望峰を回り、イギリスを出て約半年後の慶応2年12月16日(新暦1867年1月12日)に長崎に到着した。レディー・アリス号にはプラット・ブラザーズ社の技師ジョン・テトロー(John Tetlow)も同船し、その後鹿児島で機械の据付と立ち上げに携わった。日本初の洋式紡績所の誕生である。

Godai Tomoatsu and Niiro Hisanobu purchased spinning machinery for Satsuma during their staying in Britain. The machinery manufactured by Platt Bros. & Co. of Oldham arrived in Japan in January 1867.

<参考文献>
絹川太一『本邦綿絲紡績史第一巻』1937年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
長谷川雅康「薩摩のものづくり研究 薩摩藩集成館事業における反射炉・建築・水車動力・工作機械・紡績技術の総合的研究 – 平成14年度-平成15年度科学研究費補助金(特定領域研究(2))研究成果報告書」2004-03

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