五代友厚 欧州へ(足跡篇)
Godai Tomoatsu, To Europe (Footprints)

長い船旅の末イギリスに到着した五代友厚と留学生たちが最初に足を踏み入れた地、サウサンプトンを歩いてきました。

After the long voyage from Japan, Godai Tomoatsu and the other Satsuma students finally set foot on British soil.  I went Southampton, the city where they first arrived.

ロンドンのウォータールー駅(Waterloo Station)からサウサンプトン中央駅(Southampton Central Station)まで列車で約1時間半です。National Railwayのサイトから前もってチケットを購入できます。ウォータールー駅は1848年に開業しましたが、乗客の増加や増改築による構造の複雑さに耐えきれなくなり、1922年に現在の駅舎に建てかえられました。非常に重厚な建物です。

ウォータールー駅
ウォータールー駅 Waterloo Station

サウサンプトン中央駅に到着。
なんとなく船を意識したデザインでしょうか。駅から港までは歩くと30分ぐらいかかります。1966年まではもっと海寄りに駅がありました。

サウサンプトン中央駅
サウサンプトン中央駅 Southampton Central Station

町でもっともにぎやかな通りであるハイ・ストリート(Hight Street)の手前にバーゲート(Bargete)という石造りの門があります。中世から栄えたこの町は石壁に囲まれていて、町に入るためにいくつかの門が設けられていますが、バーゲートはその正面玄関ともいうべき入り口です。

バーゲート
バーゲート The Bargate

周囲の石壁も多く残っています。

サウサンプトンの石壁
サウサンプトンの石壁 Town Walls, Southampton

サウサンプトンの町は港に向かって坂道になっています。ハイ・ストリートをまっすぐ海の方へ向かう途中、作家ジェーン・オースティンも利用したというドルフィン・ホテル(Dolphin Hotel)がありました。出窓のあるこの建物は18世紀に建てられたそうです。もちろん現在も宿泊できます。

ドルフィン・ホテル
ドルフィン・ホテル Dolphin Hotel

ドルフィン・ホテルの斜向いにある砂色がかった建物は1833年設立とあるので、五代友厚はじめ日本人が幕末・明治にヨーロッパを訪れたときにはすでにここにあったことでしょう。

ハイ・ストリートの建物
ハイ・ストリートの建物 A Building at High Street, Southampton

サウサンプトンはクイーン・エリザベス号の母港として有名です。タイタニック号もここから出航しました。沈没時の遺品などがこの町の海事歴史博物館にたくさん残されています。

サウサンプトン港
サウサンプトン港 Port of Southampton

サウサンプトン港からシールドホール号(S.S. Shieldhall)という蒸気船に乗りました。夏の間だけ月に一度ぐらいの割合で出航しています。すべてボランティアで動かしているそうです。私が乗った日は船上でジャズライブの演奏があり、乗客も100人をこえていました。比較的高齢の方が多いですが、蒸気船マニアらしき若者もいます。

シールドホール号の甲板
シールドホール号の甲板 Deck of Shieldhall
シールドホールのプレート
蒸気船シールドホール号

エンジンルームやボイラールーム、離着岸作業も見ることができてかなりエキサイトしました!

シールドホールのエンジンルーム
蒸気船シールドホールのエンジンルーム Engine Room of the Steamship Shieldhall
シールドホールのボイラールーム
蒸気船シールドホールのエンジンルーム Boiler Room of the Steamship Shieldhall
サウサンプトン港岸壁
サウサンプトン港岸壁 A Berth at the Port of Southampton

サウサンプトン港は現在も大型客船が数多く寄港していて、この日はP&O社のアズーラ号(Azura)とすれ違いました。まるで動く巨大マンション。

P&O社のアズーラ号
P&O社のアズーラ号 Azura, P&O

午後3時から6時まで3時間のクルーズで30ポンド足らず、天気もよく大満足でした。このシールドホール号は1954年の建造だそうです。1865年にイギリスに渡った五代友厚の時代よりだいぶ新しい船ですが、蒸気船で海路サウサンプトンに近づく雰囲気を十分味わえると思います。

蒸気船シールドホール号
蒸気船シールドホール号 Steamship Shieldhall

<住所>
バーゲート(Bargete):High St, Southampton SO14 2DJ
ドルフィン・ホテル(Dolphin Hotel):34-35 High St, Southampton SO14 2HN
シールドホール号(S.S. Shieldhall):110 Berth, Southampton SO15 0HH
海事博物館(SeaCity Museum):Havelock Rd, Southampton SO14 7FY

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五代友厚 欧州へ(2)
Godai Tomoatsu, To Europe (2)

五代友厚らが辿った日本からイギリスまでの航路
五代らの辿った航路 The sea route from Japan to Britain

まだスエズ運河が完成していなかった時代、スエズからは陸路でアレクサンドリアを目指した。窓外にピラミッドや駱駝の群れを見ながらおよそ12時間の汽車の旅を終え、アレクサンドリアからデルヒ(Delhi)という処女航海を前年に果たしたばかりの客船に乗り込み、マルタ島、スペインのジブラルタルを経て、ついに慶応元年5月28日(新暦1865年6月21日)明け方の午前4時にイギリスのサウサンプトンに到着した。2ヶ月以上の船旅の後、無事目的の地に降り立つときの彼らの安堵と心の震えはいかばかりであったろう。

イギリスの南海岸のほぼ中央にあるサウサンプトンは、当時同じ港町のリバプールの繁栄には遠く及ばなかったものの、港埠頭としては理想的な地理的環境にあり、またロンドンにもほど近く、1840年に鉄道が開通してからは入港する船が世界中から後を絶たなかったという。20世紀に入ってからのことだが、タイタニック号もこの港から出航した。

五代らはサウサンプトンのホテルで休憩をとり、夕方5時半にロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(The London and South Western Railway)の運行するロンドン行きの汽車に乗った。ロンドンまで約120キロの距離を2時間半で走ったという。当時の感覚でいえば非常に早い到着と思われたのではないか。ロンドンの終着駅はウォータールー駅(Waterloo Station)である。

トーマス・グラバーの兄が迎えにきており、馬車でロンドンの西にあるケンジントンのホテルに向かった。6月21日といえばちょうど夏至のころであるから、緯度の高いロンドンでは、午後8時過ぎに到着したとはいえまだ空も明るかったであろう。

After two-month voyage, Godai Tomoatsu and the other Satsuma Students arrived in Southampton, England on 21st June 1965. They got on a train for London on the same day. At the station, Thomas Glover’s brother was waiting for them to arrive.

<参考文献>
宮本又次 『五代友厚伝』 1980年
犬塚孝明 『薩摩藩英国留学生』 1974年
Andrew Cobbing, “The Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the ‘Essence of the West’”, 2000
Miles Taylor, “Southampton: Gateway to the British Empire”, 2007

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五代友厚 欧州へ(1)
Godai Tomoatsu, To Europe (1)

マドラス号の甲板
マドラス号の甲板 Deck of Madras(William Carpenter, P&O Heritage Collection)

元治2年3月22日(新暦1865年4月17日)、五代友厚ほか薩摩藩の派遣留学生一行19名は、鹿児島市の北西に位置する羽島の港からイギリスに向けて出航した。香港まではグラバー商会の小型汽船を利用し、香港よりP&O社のマドラス(Madras)という大型客船にのりかえた。慶応元年4月11日(新暦1865年5月5日)にはシンガポールに到達している。

シンガポールの港で一行は、別離を惜しむオランダ人家族と出くわしたようである。教育のため子どもたちを自国へ送りだす父親とその家族の別れの光景をみて、薩摩藩留学生の筆頭引率者であった新納久脩(にいろひさのぶ)はひどく心を動かされ、そのときのことを息子への手紙に書いている。新納は洋行中に2人の息子を英仏それぞれに留学させる心づもりでいたが、帰国を前にして次男が亡くなり、まだ11歳だった長男ひとりをその後フランスに留学させている。

シンガポールからペナン島、セイロン島を経てインドのボンベイに達し、ここからはP&O社のベナルス(Benares)に乗船して、現イエメンのアデンからスエズに到着した。日本では元号が変わり慶応元年5月16日(新暦1865年6月9日)となっていた。寄港地では観光を楽しんだり、パイナップルやアイスクリームなどを食したとある。

19 Satsuma Students including Godai Tomoatsu left for Europe on 17th Apirl 1865 from Hashima, Kagoshima. They reached Suez on 9th June 1865.

<参考文献>
宮本又次 『五代友厚伝』 1980年
犬塚孝明 『薩摩藩英国留学生』 1974年
Andrew Cobbing, “The Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the ‘Essence of the West’”, 2000

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