五代友厚 ロンドン東部(足跡篇)
Godai Tomoatsu, The East of London (Footprints)

今回は薩摩藩留学生のひとり畠山義成が残した日記から、五代友厚も見学したと思われるロンドンの名所を訪ねました。

Based on the diary of Hatakeyama Yoshinari who is one of the Satsuma Students, I visited some places of interest in London where Godai Tomoatsu may have visited as well.

ロンドン塔(The Tower of London)は、ロンドン東部、テムズ川河畔にある城塞で、11世紀にイングランドを征服したウィリアム一世により築かれました。最寄駅は地下鉄タワー・ヒル(Tower Hill)です。

ロンドン塔とザ・シャード
ロンドン塔とザ・シャード The Tower of London and the Shard

ロンドン塔は、その目の前に架かるタワー・ブリッジ(Tower Bridge)とともにロンドンで最も有名な観光地のひとつでしょう。薩摩藩留学生たちが訪れたときと同じく、今も数々の武器や王室の宝石類が展示されています。

ロンドン塔
ロンドン塔 The Tower of London

タワー・ブリッジの方は完成が1894年なので、五代友厚らが滞在していたころにはまだ存在していませんでした。

タワー・ブリッジ
タワー・ブリッジ(Tower Bridge)

ロンドン塔内には、過去に造幣所が置かれていたこともあります。19世紀になると蒸気を使った鋳造機械が導入されることになり、造幣所は手狭になったロンドン塔を離れ、すぐ東隣りのタバコ倉庫があった地に移転しました。現在造幣局(The Royal Mint)としては使われていませんが、当時の建物はそのまま残っています。

ロンドンの元造幣局
ロンドンの元造幣局(ex The Royal Mint, London)

五代友厚が明治初めに大阪造幣寮の機械買い入れに尽力し、また金銀分析所を開設して造幣寮と大いに関係していたことを考えると、ヨーロッパにおいて造幣局を見学したであろうことは確実と思われます。

ロイヤル・ミント・ストリート

旧造幣局入口
旧造幣局入口 The Entrance of the Royal Mint

ロンドン塔の東側、元造幣局の南側に1828年に開かれたセント・キャサリン・ドックス(St. Katharine Docks)があります。現在はヨットやクルーザーが停泊するマリーナになっており、水辺におしゃれなレストランや店舗が建ち並ぶ静かな空間となっています。

セント・キャサリン・ドックス
セント・キャサリン・ドックス(St. Katharine Docks)

セント・キャサリン・ドックスには可動橋(Movable Bridges)が4基あります。

セント・キャサリン・ドックの可動橋1
セント・キャサリン・ドックス可動橋1(Movable Bridge 1, St. Katharine Docks)
セント・キャサリン・ドックスの可動橋2
セント・キャサリン・ドックス可動橋2(Movable Bridge 2, St. Katharine Docks)
セント・キャサリン・ドックス可動橋3
セント・キャサリン・ドックス可動橋3(Movable Bridge 3, St. Katharine Docks)
セント・キャサリン・ドックス可動橋4
セント・キャサリン・ドックス可動橋4(Movable Bridge 4, St. Katharine Docks)

今あるものはすべて後年架け替えられたものですが、当初架けられていた橋も現在の橋のたもとにひとつ残されています。

セント・キャサリン・ドックスに残されている初代の可動橋4
セント・キャサリン・ドックス初代の可動橋4(The Original Movable Bridge 4, St. Katharine Docks)

明治になると日本にもたくさんの可動橋がつくられました。五代友厚が外国官権判事として外交事務を担当していた大阪川口の運上所そばにも、明治6年に安治川橋という橋桁が旋回するタイプの可動橋が架設され「磁石橋」と呼ばれて大阪の名物となっていました。

セント・キャサリン・ドックス周辺の古い倉庫群は改築・改装されオフィスなどとして利用されていました。

セント・キャサリン・ドックスの元倉庫壁面
セント・キャサリン・ドックスの元倉庫壁面(ex Warehouse Walls, St. Katharine Docks)

<住所>
ロンドン塔(Tower of London):London EC3N 4AB
元造幣局(ex The Royal Mint):4 Royal Mint Court, London EC3N 4HJ
St. Katharine Docks:St Katharine Marina, 50 St Katharine’s Way, London E1W 1LA

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五代友厚 ロンドン東部(2)
Godai Tomoatsu, The East of London (2)

ロンドン左岸のセント・キャサリン・ドックスとロンドン・ドックス付近の地図
セント・キャサリンとロンドン・ドックス付近 St. Katharine and London Docks(Map Of London 1868, Edward Weller, by MAPCO)

ロンドン・ドックス(London Dockes)に近いワッピング(Wapping)から川向こうのロザーハイス(Rotherhithe)にトンネルが掘られ、この当時たいへんな観光名所となっていた。畠山ら留学生たちはこのテムズ・トンネル(The Thames Tunnel)を歩いて渡り、距離にして四町、つまり400メートルほどのあいだには途中見せ物などもあったという。トンネルはもともと両岸を結ぶ新たな交通手段を確保する目的でつくられたが、長引く工期とかさむ費用に車両を通すめどが立たず、しばらくのあいだ歩行者のみが利用していた。掘削を指揮した技術者ブルネルが発明した工法は画期的で、水底トンネルの建設が可能であることをこのトンネルで実証せしめた。

帰路、畠山たち薩摩藩留学生と案内役をつとめた山尾は蒸気船に乗り、テムズ川を遡上した。当時テムズ川には蒸気船がひんぱんに往来していたものの、鉄道の発達とともに観光船の色合いが濃くなりつつあった。のちに大阪の淀川にも蒸気船が行き交う時代があったが、陸運が発達する明治中頃にはそれも衰微したという。畠山たちは橋のそばの岸に降り立ったと言っている。宿舎のあるベイズウォーター(Bayswater)の最寄りといえばウェストミンスター(Westminster)あたりだろうか。山尾は、薩摩藩留学生たちを宿舎まで送ったあと、五代友厚らが逗留するサウス・ケンジントン・ホテルに向かった。数日後のベッドフォード(Bedford)視察にも山尾は同行しているから、その相談のためだったかもしれない。

Yamao Yozo from Choshu Domain guided a group of Satsuma students to some places in the east of London. After visiting the Tower of London and docks nearby, they walked through the Thames Tunnel and went back by steamboat.

<参考文献>
大久保利謙監修『新修森有禮全集第4巻』「畠山義成洋行日記抄」1994年
犬塚孝明 『薩摩藩英国留学生』 1974年
Andrew Cobbing, “The Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the ‘Essence of the West’”, 2000
George Bradshaw, “Bradshaw’s Guide through London and its Environs”, First published in Great Britain in 1861

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五代友厚 ロンドン東部(1)
Godai Tomoatsu, The East of London (1)

19世紀ロンドンのテムズ・トンネル
テムズ・トンネル The Thames Tunnel (British History Online)

薩摩藩留学生たちがロンドンで訪れた場所は、留学生の日記からうかがい知ることができる。畠山義成(当時の名は畠山丈之助、留学中の変名は杉浦弘蔵)の洋行日記によれば、慶応元年6月3日(新暦1865年7月25日)に長州藩留学生山尾庸三の案内でロンドン見物に出かけている。山尾は帰りがけに五代友厚や新納久脩(にいろひさのぶ)らが宿泊していたサウス・ケンジントン・ホテルに赴いたとのことなので、五代はこの日の見物には同行していないようだが、前後してこれらの場所を訪ねた可能性は高い。

畠山の日記によると、この日はロンドン大学で山尾と待ち合わせ、昼過ぎに4〜5人連れだって出発、最初に800年ほど前に建てられた古城ロンドン塔(The Tower of London)で兵士の調練や武器の陳列を見学している。中国やポルトガル、トルコ等との戦いで得た戦利品の剣、銃、鎧が数えきれないほど並べられ、大砲などもあり、また王冠や金細工も間近に見たとしている。

近辺で食事を済ませ、次に船の修繕場を見に行った。「修繕場」としか書いていないのでどこの修繕場かはっきりしないが、ロンドン塔の近くであれば、おそらく1805年に開かれたロンドン・ドックス(London Docks)か1828年に開かれたセント・キャサリン・ドックス(St. Katharine Docks)のいずれかもしくは両方であろう。どちらもテムズ川左岸にあり隣り合っていたが、ロンドン・ドックスの方は埋め立てられて現存していない。当時は、膨大な綿花や紅茶、ワインを積んだ船が盛んに出入りしていた。

Hatakeyama Yoshinari, who is one of the Satsuma students, wrote about a day that they made a tour of London in his diary. They went to the Tower of London, then to docks nearby. Godai Tomoatsu was probably not accompanied by them, but there is a possibility that he also went to the same places the other day.

<参考文献>
大久保利謙監修『新修森有禮全集第4巻』「畠山義成洋行日記抄」1994年
犬塚孝明 『薩摩藩英国留学生』 1974年
Andrew Cobbing, “The Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the ‘Essence of the West’”, 2000
George Bradshaw, “Bradshaw’s Guide through London and its Environs”, First published in Great Britain in 1861

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