五代友厚 神戸居留地(足跡篇)
Godai Tomoatsu, Kobe Foreign Settlement (Footprints)

開港当時の足跡を求めて神戸居留地周辺を歩きました。

I walked around old Foreign Settlement in Kobe to find a trace of the Meiji era.

神戸外国人居留地跡の碑から出発です。このあたりは居留地の東端にあたります。ガソリンスタンドの角にひっそり建てられていました。

神戸外国人居留地跡の碑
神戸外国人居留地跡の碑 The Monument of Kobe Foreign Settlement
神戸外国人居留地跡説明板
神戸外国人居留地跡説明板 Kobe Old Foreign Settlement Explanation Board

神戸市立博物館に行きました。
博物館のある京町筋は、かつて外国人居留地のあったところです。建物は、昭和10年(1935年)竣工の旧横浜正金銀行ビルを転用したものです。

神戸市立博物館
神戸市立博物館 Kobe City Museum

常設展は、国際文化交流都市である神戸をテーマにしています。
明治9年の鉄道汽車賃金表が展示されています。

鉄道汽車賃金表
鉄道汽車賃金表 明治9年 Railway Timetable, 1876

開港当初のメリケン波止場の写真がありました。

神戸メリケン波止場写真
神戸メリケン波止場写真 A Photo of Kobe Meriken Wharf

兵庫津にあった初代兵庫県庁の写真です。最初の兵庫県知事は伊藤博文です。

兵庫裁判所(初代兵庫県庁)
兵庫裁判所(初代兵庫県庁) The First Prefectural Office of Hyogo

居留地のジオラマが2つあります。たいへん精巧にできていて見入ってしまいます。まず明治期のもの。

居留地ジオラマ(明治期)
居留地ジオラマ(明治期) Kobe Foreign Settlement Diorama, Meiji Period

地図の赤いところが現在の神戸市立博物館です。博物館の真向かいにジャーディン・マセソン(Jardine Matheson)商会がありました。今は日本銀行神戸支店となっています。

居留地ジオラマ(明治期)説明板
居留地ジオラマ(明治期)説明板 Explanation Board of Kobe Foreign Settlement Diorama, Meiji Period

そして昭和初期のもの。

居留地ジオラマ(昭和初期)
居留地ジオラマ(昭和初期)

海際の茶色い洋風の建物は神戸商工会議所です。現在はNTTドコモビルになっています。一番奥に見えるベージュ色の建物は大丸百貨店です。

居留地ジオラマ(昭和初期)説明板
居留地ジオラマ(昭和初期)説明板 Explanation Board of Kobe Foreign Settlement Diorama, Early Showa Period

博物館の向かい側は日本銀行神戸支店です。居留地時代はここにジャーディン・マセソン商会がありました。開設当時の日本銀行は博物館北側の25番地にありましたが、昭和36年(1961年)に今の場所に移転したそうです。日本銀行神戸支店プレート

日本銀行神戸支店
日本銀行神戸支店 The Bank of Japan Kobe Branch

博物館からまっすぐ海側へ歩くと、大きな鉄塔がそびえるNTTドコモビルが左手に見えます。

NTTドコモ神戸ビル
NTTドコモ神戸ビル NTT docomo Kobe Building

ビルの東側面に神戸海軍操練所跡と神戸電信発祥の地の記念碑が並んでいます。この地にはかつて神戸商工会議所が建っていました。
神戸海軍操練所跡の碑は、船のイカリと本の見開きを組み合わせたユニークなものです。

神戸海軍操練所趾
神戸海軍操練所趾 Monument of Old Navy Training Center
神戸海軍操練所跡モニュメント
神戸海軍操練所跡モニュメント Monument of Old Navy Training Center

明治3年にここから電信がつながった先は大阪電信発祥の地、つまり川口運上所でした。五代友厚は、明治2年まで川口運上所に勤務していました。

神戸電信発祥の地
神戸電信発祥の地 The First Telegraph Station in Kobe

さらに海側へ歩くと、新港第1突堤にいたる手前の空き地に網屋吉兵衛の顕彰碑があります。網屋吉兵衛は私財をなげうって船蓼場をつくり上げた人です。その後、勝海舟の進言でここは海軍操練所となりました。

網屋吉兵衛顕彰碑
網屋吉兵衛顕彰碑 The Monument of Amiya Kichibee

網屋吉兵衛顕彰碑の前の道を東に折れ、第3突堤の辻を北へ行くと神戸税関が見えます。阪神・淡路大震災後に改築された3代目庁舎ですが、昭和2年(1927年)に竣工した2代目庁舎の外観や内部ホールを保全し昔の面影をよく残しています。見学も可能です。

神戸税関旧館
神戸税関旧館 Kobe Customs Old Building
神戸税関旧館
神戸税関旧館 Kobe Customs Old Building

税関の玄関ホールです。天井まで吹き抜けになっていて、やわらかい光が差し込んできます。

神戸税関玄関ホール
神戸税関玄関ホール Entrance Hall of the Kobe Customs Office

初代神戸税関の模型がありました。
和洋折衷のガラス張りの建物で、ビードロ屋敷と呼ばれていました。開港時に建てた運上所を明治5年に全面改築したものです。

神戸税関初代本館の模型
神戸税関初代本館の模型 The First Kobe Customs Office

道路を隔てて西側にデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)があります。2代目神戸税関ができたのと同じ昭和2年に生糸検査所として建てられた建物を使っています。大正時代から昭和初期は神戸港の生糸輸出最盛期でした。

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)Design and Creative Center Kobe (KIITO)

神戸税関前の高速道路をくぐり、国道2号線沿いを再びNTTドコモビルに向かって歩くと、途中神戸地方合同庁舎があります。

神戸地方合同庁舎
神戸地方合同庁舎 Kobe District Office

敷地の南西角に神戸税関発祥の地(運上所跡)碑がありました。ビードロ屋敷と呼ばれた初代神戸税関(運上所)のあったところです。

神戸税関発祥の地
神戸税関発祥の地 The Site of Kobe Customs (Kobe Unjosho)

国道2号線をそのまま西へ向うと、メリケン波止場に出ます。すぐ近くにアメリカ領事館があったことがその名の由来だそうです。

神戸メリケン波止場
神戸メリケン波止場 Kobe Meriken Wharf

国道2号線をはさんで向かい側の神戸郵船ビルには、アメリカ領事館があったことを記すプレートが掲げられています。

アメリカ領事館があった場所を示すプレート
アメリカ領事館があった場所を示すプレート The Site of The First American Consulate in Kobe

メリケン波止場の入口にある港公園には、海軍営之碑(複製)と兵庫県知事でもあった陸奥宗光の顕彰碑があります。陸奥宗光は、短期間ですが川口運上所で五代友厚とともに働いていたことがあります。

海軍営之碑(複製)と陸奥宗光顕彰碑
海軍営之碑(複製)と陸奥宗光顕彰碑 The Monuments of Naval School and Mutsu Munemitsu

かつての弁天浜の船着場は、高浜旅客ターミナル(高浜岸壁)と呼ばれるようになりました。今は遊覧船が碇泊するだけですが、岸壁の広場ではイベントがよく開かれています。たくさんのクレーンが並んでいるところは川崎造船です。

高浜岸壁
高浜岸壁 The Takahama Quay

旧神戸信号所が保存されています。

旧神戸信号所
旧神戸信号所 Old Signal Station, Kobe

明治後期にここに三菱倉庫ができました。

三菱高浜倉庫跡
三菱高浜倉庫跡 The Site of Mitsubishi Takahama Warehouses

赤レンガ倉庫も残っています。今はレストランなどに転用されています。

神戸ハーバーランドの煉瓦倉庫
神戸ハーバーランドの煉瓦倉庫 Brick Warehouses at the Kobe Harborland

ハーバーランド北側の立体駐車場前に、明治天皇御用邸趾の碑があります。もとは専崎弥五平という商人の屋敷でした。専崎弥五平は、幕末・明治の志士たちの活動を支え、神戸事件の際も長州藩はここを拠点としたようです。要人が船で神戸に着くとまず専崎邸に入るといった具合で、税所篤、五代友厚らは、よく大久保利通をここに迎えにきていました。

明治天皇御用邸趾
明治天皇御用邸趾 Imperial Villa Memorial Site
明治天皇御用邸跡
明治天皇御用邸跡説明板 Imperial Villa Memorial Site Explanation Board

<住所>
神戸外国人居留地跡碑:神戸市中央区江戸町95
神戸市立博物館:神戸市中央区京町24
※2018年2月5日~2019年11月まで、リニューアル工事のため休館
日本銀行神戸支店:神戸市中央区京町81
神戸海軍操練所跡、神戸電信発祥の地:神戸市中央区新港町17(NTTドコモ 神戸ビル)
網屋吉兵衛顕彰碑:神戸市中央区新港町7
神戸税関:神戸市中央区新港町12-1
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO):神戸市中央区小野浜町1-
神戸税関発祥の地(運上所跡):神戸市中央区海岸通29(神戸地方合同庁舎)
神戸郵船ビル:神戸市中央区海岸通1-1-1
メリケン波止場:神戸市中央区波止場町2
海軍営之碑、陸奥宗光顕彰碑:神戸市中央区波止場町1(港公園)
高浜旅客ターミナル(高浜岸壁):神戸市中央区東川崎町1丁目6番
神戸煉瓦倉庫:神戸市中央区東川崎町1-5-5
明治天皇御用邸趾:神戸市中央区東川崎町1-8-5

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五代友厚 神戸居留地(2)
Godai Tomoatsu, Kobe Foreign Settlement (2)

初代神戸税関庁舎 
初代神戸税関庁舎 Kobe Customs Building at the Meiji Era

大阪と兵庫の運上所をそれぞれ掌管していた五代友厚と伊藤博文は、外国事務や輸出入の取り締まりについて意見を交換することもあったようだ。

兵庫運上所は現在の神戸税関近くと中突堤近くに2か所あり、それぞれ東運上所、西運上所と呼ばれていた。東運上所は居留地の東端に位置し、勝海舟の建言により幕府が開いた海軍操練所の跡地にあった。波止場はそのまま使えたので、外国との貿易用に運上所と倉庫を建てた。海軍操練所自体、もともと船蓼場(船底に付着する貝殻や船喰虫の除去、修理のためのドック)のあったところで、その船蓼場は呉服商の網屋吉兵衛が長年の夢をかなえて建設したものであった。神戸は水深があり大型船が碇泊できることに加え、波止場や運上所、居留地用地を順調に確保できたことが後の発展につながったといえる。

居留地の西端には船客乗降場があり、メリケン波止場と呼ばれていた。すぐ近くにアメリカ領事館があったことがその名の由来という。メリケン波止場より西、居留地を外れたところに国内大型船の荷役を扱う国産波止場と西運上所があった。さらに西側の弁天浜にも波止場があって、和船はここを利用した。弁天浜には専崎弥五平という商人の屋敷があり、長州藩とつながりの深かった専崎は、七卿落ちの公家たちのために船を手配し、禁門の変で負傷した長州藩士をかくまい、西南戦争では屋敷を運輸事務所として提供した。この屋敷は、明治天皇の行在所としても使われていた。

There were two Unjoshos(tax offices) and four wharves at the port of Hyogo(Kobe). The Director of Hyogo Unjosho, Ito Hirobumi and that of Osaka Unjosho, Godai Tomoatsu cooperated with each other to deal with diplomatic problems occurred after opening the ports.

<参考文献>
神戸税関ホームページ http://www.customs.go.jp/kobe/
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
道谷卓『神戸歴史トリップ−新・中央区歴史物語(改訂版)』2005年

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五代友厚 神戸居留地(1)
Godai Tomoatsu, Kobe Foreign Settlement (1)

兵神市街之図
兵神市街之図 明治13年 Hiogo and Kobe Map (University of California)

兵庫(神戸)は、1868年1月1日に開港した。当初1863年1月1日の開港予定であったが、朝廷の反対や国内の諸事情で折り合いがつかず、幕府は文久遣欧使節をヨーロッパ諸国に派遣して兵庫・新潟・大阪・江戸の開港市を5年間延期することに成功した。

使節の正使は竹内保徳、他に柴田剛中(しばたたけなか)、福沢諭吉、寺島宗則などが同行した。帰国後、柴田は外国奉行として函館で勤務していたが、製鉄所及び軍制調査のため慶応元年(1865年)に再び英仏へ派遣された。同年ヨーロッパを訪れていた五代友厚は、慶応元年の暮れから年始にかけて、柴田と同じロンドンのランガム・ホテル(The Langham Hotel)に滞在した。幕府から海外渡航が禁止されていた時代、五代らは変名を使って密航というかたちで渡欧しており、柴田一行は幕吏であったから、五代は幕府から尋問を受けた際の申し開きまで考えていたが、結局五代らの滞欧が問題になることはなかったようだ。

柴田は慶応3年、大坂町奉行、兵庫奉行を兼務して兵庫・大阪の開港市や外国人居留地問題に取り組んでいた。兵庫(神戸)においては、運上所や居留地、埠頭の造成、西国往還の付け替えなどを進め、慶応3年12月7日(1868年1月1日)の大阪・兵庫開港市式典に出席している。しかし、慶応4年1月3日に鳥羽・伏見の戦いが始まり、6日に徳川慶喜が大阪から江戸へ敗走すると、柴田も10日に兵庫を脱出した。運上所は仮の外国公使館として委譲され、居留地の警護は各国に任されていたが、翌11日に神戸事件が起きる。その後、兵庫運上所を伊藤博文、大阪運上所を五代友厚が、新政府の外国事務掛として引き継ぐこととなった。

A shogunate official, Shibata Takenaka devoted himself to make the necessary arrangements for opening the ports of Kobe and Osaka. The ports finally opened in 1st January 1868 but the regime changed soon later. His place was taken over by the officials of new government, Ito Hirobumi and Godai Tomoatsu.

<参考文献>
神戸市文書館ホームページ http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/top.html
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
宮永孝「イギリスにおける柴田日向守」『法政大学社会労働研究』1999-3

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