五代友厚 上海浦東(足跡篇)
Godai Tomoatsu, Shanghai Pudong (Footprints)

五代友厚が長毛賊との合戦を見たという上海の浦東に行きました。

I visited Pudong of Shanghai where Godai Tomoatsu saw the battle of the Taiping Rebellion.

外灘の延安路に近い金陵東路渡口から船に乗って浦東へ渡ることにします。上海には渡し船の乗降場がいくつかありますが、中でも金陵東路渡口は千歳丸一行が滞在していた宏記館やオランダ領事館からすぐの場所にあります。千歳丸もこの近くに投錨していたようです。

黄浦江渡船
黄浦江渡船 Huangpu River Ferry

黄浦江から見た金陵東路渡口です。乗り場近くの窓口で運賃を払ってコインをもらい、そのコインをゲートで渡して乗船します。運賃はたったの2元でした。

金陵東路輪渡
金陵東路輪渡 East Jinling Road Ferry Station

船から浦西側の外灘を一望できます。

外灘
外灘 The Bund, Shanghai

浦東新区の高層ビル群が近づいてきます。

浦東新区
浦東新区 Pudong New Area
浦東新区
浦東新区 Pudong New Area

浦東の東昌路渡口に到着しました。

東昌路輪渡站
東昌路輪渡站 Dongchang Road Ferry Station

東昌路渡口の近くに古い灯台があります。今はレストランになっているようです。

浦東の旧燈台
浦東の旧燈台 Old Lighthouse in Pudong

富城路を北へ進み、黄浦江沿いの遊歩道へ出ます。

富城路

富城路
富城路 Fucheng Road

黄浦江には埠頭の跡らしきものがたくさん残っています。このあたりには、かつて怡和洋行(Jardine, Matheson & Co.)や太古洋行(Butterfield & Swire Co.)の埠頭がありました。

浦東の埠頭跡
浦東の埠頭跡 Old Pier in Pudong
浦東の埠頭跡
浦東の埠頭跡 Old Pier in Pudong
浦東の埠頭跡
浦東の埠頭跡 Old Pier in Pudong
浦東の埠頭跡
浦東の埠頭跡 Old Pier in Pudong

北に向かって歩き続けると、やがて濱江公園の広場に出ます。モニュメントの説明文によれば、ここは立新船廠(Lixin Shipyard)という造船所があった場所だそうです。今はおしゃれなカフェやレストランもあり、黄浦江からの風が気持ちのよい憩いのスポットといったところです。対岸に広がる外灘の眺めももちろんすばらしいです。

濱江大道からの眺め
濱江大道からの眺め View from Pudong Binjiang Avenue
濱江大道のモニュメント
濱江大道のモニュメント Monument of Pudong Binjiang Avenue
濱江大道のモニュメント説明板
濱江大道のモニュメント Monument of Pudong Binjiang Avenue

満潮と高波が重なったのか、遊歩道に水が入り込んでいます。この日は渡し船も一時不通になっていました。

濱江大道
濱江大道 Pudong Binjiang Avenue

作業員さんたちが水を掻き出していました。黄浦江の水も泥がかなり混じっています。

濱江大道を排水中
濱江大道を排水中 Draining of the Pudong Binjiang Avenue

しかし、この日はすばらしい快晴!青く澄んだ空にテレビ塔が映えます。この青さは上海の空にしては珍しいかもしれません。

東方明珠電視塔
東方明珠電視塔 Oriental Pearl TV Tower

浦東の先端の辺りまで来ました。蘇州江と黄浦江が交わるところです。東方明珠遊船碼頭という埠頭があり、遊覧船の発着場になっています。この近辺にもかつては造船所が並んでいました。

東方明珠遊船碼頭
東方明珠遊船碼頭 Oriental Pearl Cruise Dock
東方明珠遊船碼頭
東方明珠遊船碼頭 Oriental Pearl Cruise Dock

東方明珠遊船碼頭の川向こうは上海港国際客運中心、つまり国際フェリーターミナルです。ちょうど上海と大阪・神戸を行き来する新鑑真号が碇泊していました。五代友厚も設立に寄与したとされる日本郵船会社の埠頭があったのがこのあたりで、昔から日本と関係の深い場所です。

新鑑真号
新鑑真号 Xinjianzhen

東方明珠電視塔に来ました。1994年にできたテレビ塔です。大きすぎて先端がカメラに収まりません。浦東で一番の観光スポットで、タワー前の広場は人でいっぱいです。

東方明珠電視塔
東方明珠電視塔 Oriental Pearl TV Tower

中国でも人気者・・・くまモン。

くまカフェ

テレビ塔の中にある上海城市歴史発展陳列館に入ってみました。1945年以前の上海の歴史を紹介しています。

上海城市歴史発展陳列館
上海城市歴史発展陳列館 Shanghai History Museum

このスタイルの人力車は日本から入ってきたとのこと。

黄包車
黄包車 Rickshaws

洋涇浜です。イギリス租界とフランス租界の境界でした。洋涇浜はもとは水路でしたが、現在は埋め立てて延安路という道路になっています。五代友厚らが上海に滞在していたときはまだ水路でした。千歳丸一行は洋涇浜より南のフランス租界に宿泊していました。

洋涇浜
洋涇浜 Yangjingbang Creek

公共租界の境界石です。共同租界はイギリス租界とアメリカ租界をまとめたもので、後に日本も加わりました。

公共租界石
公共租界石 Boundary Stone of the Inernational Settlement

共同租界に設けられた工部局を再現したものです。工部局は租界の行政機関ということでしたが、次第に上海そのものを支配するようになります。

工部局 Shanghai Municipal Council, Shanghai History Museum

工部局の説明板

人形がまことにリアル。生きているようです。ちなみに、この陳列館は非常に広いです。テレビ塔の中にあってさほど目立たず入口も狭いので軽くみていましたが、歩けど歩けど出口が見えません。中国は博物館も広い。展示はたいへん充実しています。入館料は若干高めですがお勧めです。

上海城市歴史発展陳列館のマネキン
上海城市歴史発展陳列館のマネキン Mannequin at the Shanghai History Museum

阿片窟を再現したものです。千歳丸メンバーの日記にもアヘン中毒者の問題が記されていました。その後、日本がアヘン流入に気を遣ったのは言うまでもありません。

花烟間
花烟間 Opium Den, Shanghai History Museum

望平街の再現模型。望平街は上海の新聞街です。有名な墨海書館もこのあたりにあったようです。五代友厚は新聞や印刷物に対し常に並々ならぬ関心を持っていましたが、五代が訪れた1860年代の望平街は、まだこの模型ほど賑やかな場所ではなかったでしょう。

望平街
望平街 Wangping Street, Shanghai History Museum

望平街の説明板

静安寺の門前にあった井戸の風景。千歳丸メンバーは清潔な飲み水が手に入らないことに始終悩まされ、滞在中コレラの犠牲者も出ました。上海で井戸は数えるほどしかなく、濁った川の水を飲まざるを得なかったためです。コレラで亡くなった日本人を浦東の爛泥渡に埋葬したという記録がありますが、爛泥渡というはテレビ塔の少し東側の地域です。

静安寺涌泉景観
静安寺涌泉景観 A Well in Shanghai

静安寺涌泉景観

茶園の再現模型です。細部まで作り込まれています。丹桂茶園は1867年創設で京劇を上演していたそうです。五代友厚も幾度かの上海滞在中、観劇に行ったという記録があります。どのような芝居をみていたのでしょうか。

丹桂茶園
丹桂茶園 Dangui Tea House, Shanghai History Museum

丹桂茶園の説明板

江海北関、外灘にあった税関の模型です。千歳丸メンバーも訪れています。中国の税関に中国人だけでなく、イギリス人が多く働いていることに驚いたようです。

江海北関
江海北関 Shanghai Custom House

江海北関

陳列館のあまりの広さに展示を見終わって外に出ると暗くなっていました。テレビ塔周辺のイルミネーションはまさに近未来都市の様相です。幕末に上海を訪れた日本人たちが、今この光景を見たらひっくり返るのでは・・・。

夜の東方明珠電視塔
夜の東方明珠電視塔 Oriental Pearl TV Tower at Night

今回訪れた浦東は、外灘の対岸にある黄浦江沿いの開発された地域だけでした。五代友厚が見たという長毛賊との合戦、つまり太平天国の乱の戦場というのは、浦東でもおそらくもっと東の長江に近いところではなかったかと思います。

<住所>
金陵東路渡口:上海市黄浦区中山東二路141号
東昌路渡口:上海市浦東新区濱江大道東昌路
濱江公園:上海市浦東新区濱江大道
東方明珠遊船碼頭:上海市浦東新区濱江大道2852号
東方明珠電視塔:上海市浦東新区浦東世紀大道1号
上海城市歴史発展陳列館:東方明珠電視塔内1階

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五代友厚 上海浦東(2)
Godai Tomoatsu, Shanghai Pudong (2)

浦東陸家嘴
19世紀後半の浦東陸家嘴 Lujiazui in Pudong, the late 19th Century(Virtual Shanghai)

文久2年(1862年)の上海滞在中、高杉晋作はたびたび五代友厚のもとを訪れ、国事を談じ、蒸気船購入の話などを聞いていたようだ。5月17日(6月14日)には、五代、高杉、中牟田倉之助らで英人リチャードソン所有の蒸気船を視察に行っている。他にも幕吏を含め蒸気船や修船場の見学に行く者が何人もいた。五代は対岸の浦東で長毛賊の争乱を見ているが、当時浦東には造船所や修船場が造られていたので、船の見分のため浦東を訪れていたとも考えられる。

千歳丸に先んじて、五代は同年1月にも英商トーマス・グラバー(Thomas Glover)と上海へ渡り、長さ25間余り、代価凡そ4万余両の蒸気船を購入したと伝えられる。さらにその1年ほど前、薩摩藩は英船イングランド号(The England)を12万8,000ドルで購入したことが、長崎のグラバーから上海のジャーディン・マセソン商会(Jardine, Matheson & Co.)宛て1861年1月付けの書簡で報告されているという。高杉は五代から蒸気船の話を聞いて「余程有益に相成様子なり、蒸汽船買入之直段十二萬三千トル、日本金に直し七萬両」と書いているが、イングランド号のことかもしれない。

また、文久3年春に鹿児島に廻航されたサー・ジョージ・グレイ号(The Sir George Grey)も薩摩藩が上海で買い付けたもので、5万2,000両だったという。五代龍作の『五代友厚伝』では、五代がジャウジキリー号という船を上海で購入したとする。イングランド号とサー・ジョージ・グレイ号は、それぞれ天佑丸、青鷹丸と名付けられた。双方とも薩英戦争で五代や松木弘安が乗船していた船で、五代が買い付けに関わった可能性は高い。

During the late Edo period, Godai Tomoatsu visited Shanghai by order of Satsuma Domain.  He purchased several steamships for the Domain who attempted to foster the industries and strengthen the military power of Japan.

<参考文献>
小島晋治監修『中国見聞録集成 第一巻』1997年
小島晋治監修『中国見聞録集成 第十一巻』1997年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
宮本又次『五代友厚伝』1980年
Alexander Mckay, “Scottish Samurai: Thomas Blake Glover”, 1993

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五代友厚 上海浦東(1)
Godai Tomoatsu, Shanghai Pudong (1)

上海港湾地図1866
上海港湾地図 1866年 Shanghai Harbour, 1866 (Virtual Shanghai)

文久2年(1862年)に千歳丸で上海に渡航した納富介次郎は、ともに乗船した五代友厚について、その『上海雑記』で次のように語っている。

最も意外だったのは、薩州の五代才助である。当初より水夫に身をやつしてずっと船底にいたので人々が気に留めずにいたところ、合間を見つけて遠出し、浦東あたりで長毛賊攻めの合戦さえ見て帰ったという。このことは誰も知る者がなく、長崎に帰り着いて知るところとなった。

五代友厚は表向き水夫と称していたわけでなく、実際に水夫としての職務を果たし船底に寝泊まりしていたようである。五代は薩摩藩の城下士でこのときすでに藩の船奉行副役であったから、こうまでして上海に来たのは、世界の状況を自分の目で確かめ、日本の進むべき方向を見極めたいという気持ちがよほど強かったのだろう。職務のかたわら時間を見つけて見聞を広め、情報を収集し、ときに貿易や蒸気船購入の可能性も探っていた。

五代が見た長毛賊との合戦というのはいわゆる太平天国の乱のことで、戦いがあった浦東は黄浦江の東岸から長江に至る一帯をいう。一行が滞在していた租界や上海県城は黄浦江の西岸にあったから、五代はわざわざ黄浦江を渡って対岸の浦東を訪れていたのである。浦東は今でこそ金融貿易区として黄浦江沿いに高層ビルがひしめいているが、もとは農村を中心としたのどかな水郷地帯だった。

浦東は、この上海派遣でコレラの犠牲になった乗員3名の埋葬の地でもあった。オランダ領事の仲介で黄浦江に近い爛泥渡に墓所が用意され、中国船で棺を運び、卒塔婆も立てて野辺送りをしたという。

During his stay in Shanghai, Godai Tomoatsu visited Pudong and saw the battle of the Taiping Rebellion.

<参考文献>
小島晋治監修『中国見聞録集成 第一巻』1997年
小島晋治監修『中国見聞録集成 第十一巻』1997年

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