今回は、鹿児島の五代友厚像をご紹介します。鹿児島市には2体の五代友厚像があります。
ひとつは、鹿児島の玄関口、鹿児島中央駅の東口広場に建つ「若き薩摩の群像碑」です。駅を降りてすぐ目に飛び込んでくる大きな記念碑で、高さは12.1m(台座部分9.49m)もあるそうです。
17体ある銅像のうち、中央に座り腕を前につき出しているのが五代友厚です。
この記念碑は、慶応元年(1865年)に薩摩藩からイギリスへ派遣された薩摩藩英国留学生たちを称えたもので、使節3名、留学生15名、通訳1名、計19名のうち土佐藩士の高見弥一と長崎の通詞堀孝之を除く薩摩藩士17名からなっています。
使節3名は、新納刑部(久脩)・五代才助(友厚)・寺島宗則(松木弘安)、留学生15名は、町田民部(久成)・畠山丈之助(義成)・町田清蔵(財部実行)・磯永彦輔(長澤鼎)・森金之丞(有礼)・町田申四郎(小松清緝)・市来勘十郎(松村淳蔵)・鮫島尚信・吉田巳次(吉田清成)・村橋直衛(村橋久成)・田中静洲(朝倉盛明)・東郷愛之進・中村宗見(博愛)・名越平馬(時成)と土佐の高見弥一、通訳1名は長崎の堀孝之です。彼らの多くは明治政府の顕官となり、また、事業を成功させた者もいて、それぞれが幕末維新の世に大きな功績を残しました。
「若き薩摩の群像碑」は彫刻家中村晋也氏の作で、昭和57年(1982年)の建立です。大阪取引所前の五代友厚像も中村晋也氏によるものです。また、鹿児島の高見橋東詰に建つ大久保利通像や鶴丸城跡の篤姫像も中村晋也氏作です。
2つ目の銅像は、鹿児島市朝日通りの泉公園にあります。
この銅像は、昭和36年(1961年)に大阪の篤志家坂岡勇治氏から寄贈されたもので、坂上政克氏の作です。坂岡勇治氏は、大阪北浜の証券会社で専務をつとめていた人のようです。
坂岡勇治氏が寄贈した際、城山観光ホテルの創業者保直次氏が建設費を寄付し、当初は五代友厚の出生地である城ケ谷に近い長田陸橋に設置されていたそうです。その後、長田陸橋の交通量増加に伴い環境が変わったため、昭和56年(1981年)にこの泉公園に移設されました。
道をはさんで向かいに見える建物は鹿児島県産業会館です。静かな場所に佇む五代友厚像でした。
<住所>
五代友厚像:鹿児島市泉町5(泉公園内)
若き薩摩の群像碑: 鹿児島市中央町1-1 鹿児島中央駅前東口広場