五代友厚 指宿と浜崎太平次(1)
Godai Tomoatsu, Ibusuki and Taheiji (1)

指宿(日本輿地路程全図 弘化元年)
指宿(日本輿地路程全図 弘化元年)

幕末の雄藩、薩摩藩の財政は、指宿の豪商濱崎家による献金に一再ならず支えられていた。濱崎家の家業は海運業で、屋号をヤマキといった。初代は17世紀半ばに指宿に移り住み、第5代の頃には九州一の富豪となって島津家との関係も深まる。その後、家業が傾きかけたところを第8代太平次正房が立て直し、明治に入って10代目まで続いた。

世に知られる第8代太平次は、文化11年(1814年)の生まれで、黒糖輸送や琉球貿易などにより巨万の富を築いた。家老調所笑左衛門広郷が文政11年(1828年)に島津重豪から命じられた財政改革を助け、藩の後ろ盾を得る一方、太平次もまた藩のために私財を投じるなどよく支えた。

この頃、五代友厚は長崎に遊学していたが、ヤマキの長崎支店は西浜町にあって薩摩藩邸にほぼ隣接し、山田屋を名乗っていた。8代目は文久3年(1863年)に大阪で客死。遺骸は西区梅本町の竹林寺に密葬され、後に指宿に持ち帰ったという。大阪では西区立売堀北通六町目に店を構えていたというから、こちらも薩摩藩下屋敷とは目と鼻の先であった。

第9代太平次政太郎は、弘化2年(1845年)生まれで、18歳のときに父太平次と別れ、わずか21歳で歿した。元治2年(1865年)、五代友厚や寺島宗則を含む薩摩藩士ら19名の留学に際し巨額の渡英費を献納し、これをもって留学が実現したと言われている。また、同年薩摩藩がグラバー商会(Glover & Co.)を介してライフル銃などを購入した際、長崎支店が一時立て替えをした記録などが残っている。

Hamasaki Taheiji was the wealthiest merchant in Kagoshima and the trading name was called Yamaki. Hamasaki often offered financial support for Satsuma Domain and when 19 Satsuma students including Godai Tomoatsu travelled to Europe in 1865, Hamasaki donated a large sum of money for their travel expenses.

<参考文献>
浜崎太平次顕彰会編『濱崎太平次傳』1935年

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