五代友厚 大島スキーム(2)
Godai Tomoatsu, Oshima Scheme (2)

琉球諸島諳射訳図
奄美大島 明治9年(琉球諸島諳射訳図より) Map of Ryukyu Islands, 1876

元治2年(1865年)、薩摩藩御用人松岡十太夫(政人)、英通事上野景範(敬介)、機械取仕立方ウォートルス(Thomas Waters)、白糖製造人マキムタイラ(MacIntyre)ら役人・諸職人120名以上が白糖工場建設のため奄美大島に渡った。

松岡十太夫は、仏船来琉時に琉球へ派遣されており、奄美・琉球に通じ、また外国人対応にも慣れていたものだろう。白糖工場設立後は鹿児島紡績所の総裁となった。この紡績所は、五代友厚がヨーロッパで購入した紡績機械を設置してつくった日本初の洋式紡績工場である。上野景範は、英学に通じ、五代とは長崎で懇意にしていた。慶応4年には、五代が斡旋した造幣器械購入のため香港へ派遣されている。ウォートルスもこの後同じく鹿児島紡績所や大阪の造幣局建設に携わる。

松岡らが大島へ出帆したのとほぼ同じ頃、五代は薩摩藩留学生を率いて欧州へ向かった。欧州各地を視察する中で、五代はシャルル・ド・モンブラン(Charles de Montblanc)と洋式機械の輸入並びに資源開発に関する契約書を結ぶ。うちひとつは砂糖製造機械に関するものであった。

一、砂糖製法蒸気機関 五ツ位
右は琉球属島の内に組立、既に製法相開居候間様の機関にして、帰朝の上絵図可相送候

琉球属島においてすでに工場は開業されており、帰国後図面を送るとある。

五代は、慶応2年2月(1866年3月)、ヨーロッパからの帰途、まだイギリスにいた町田久成に宛てて上海から手紙を書いている。「南島の白糖製法も二ヶ月余跡より本機関成就、製法相始り、最上の白糖出来候新報、昨日の急報に相見得」と喜び、グラバー商会(Glover & Co)のホーム(Ryle Holme)やグルーム(Francis Groom)らとシャンパンで祝杯をあげたという。

奄美大島の白糖工場は、金久(かねく)、久慈(くじ)、須古(すこ)、瀨留(せどめ)の4ヶ所につくられた。

In 1865, more than 120 workers and officials such as Matsuoka Jutayu, Ueno Kagenori, Thomas Waters, MacIntyre crossed the sea to build four white sugar factories in Amami Oshima. At around the same time, Godai Tomoatsu set sail for Europe and there, made a contract with Charles de Montblanc, to purchase steam-driven sugar mills for Oshima factories.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
水田丞『幕末明治初期の洋式産業施設とグラバー商会』2017年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

  Like