五代友厚 あさが来た<下>(1)
Godai Tomoatsu, Asa ga Kita (1)

薩肥海鹿児島逆徒征討図
薩肥海鹿児島逆徒征討図 早川松山 Kagoshima Battle during the Satsuma Rebellion by Shozan Hayakawa

NHKの朝ドラ「あさが来た」に登場する五代友厚を、本ブログ「あさが来た<上>」に続いて、ドラマ第9週以降も追ってみたい。

第9週「炭坑の光」のナレーションは、五代友厚を「鉱山王と呼ばれる大阪の名物男になっていました」と説明する。五代は、明治6年(1873年)に鉱山管理会社「弘成館」を設立し、奈良の天和銅山をはじめ日本中の鉱山を次々と手中におさめていった。

また、五代が大久保利通から「我が国の大蔵卿になってくれ」と請われるシーンがあるが、明治7年5月、実際に五代は大久保と大阪で会い、この頃五代の大蔵卿任命説が巷間に流布されたという。

五代は九州の筑豊にある炭鉱に主人公あさ(モデルは廣岡浅子)を訪ね、続いて鹿篭金山へ向かう。鹿児島県枕崎の鹿篭金山は、ドラマの設定より後の明治13年に五代の所有となるが、経営管理は鹿児島の親類や知人にほぼ任せていたようだ。

第10週「お姉ちゃんの旅立ち」では、三味線の師匠をしていた美和から「五代様は確か、大阪商人が気さくに集まって話し合える場が欲しいとおっしゃっていた」と切り出され、美和はほどなく晴花亭という洋食店を開いて繁盛させる。明治の初め、大阪には草野丈吉が経営する自由亭というホテルがあり、実際に大阪商法会議所の新年会がここで開かれることもあったようだ。草野丈吉は長崎出身で、五代の薦めで自宅を改装して西洋料理店を始めたと言われている。明治19年に丈吉が亡くなった後の自由亭は、長女の錦が継いでいる。

第11週「九転び十起き」では、加野屋(モデルは加島屋)を訪れた五代が「あれだけ栄えてた堂島の米相場も今では昔ほどのにぎわいはなくなってしまいました。私は大阪経済のためにはあれを再生させなあかん思いまして、今いろんな人の力を借りて動いているところです」とあさに伝える。実際の五代も米会所再興のために奔走し、甲斐あって明治9年に堂島米商会所が設立された。

第12週「大阪一のおとうさま」では、明治10年の西南戦争を背景に、薩摩人として複雑な心中の五代と大久保が描かれる。五代があさに言う「人の上に立つ人間は、ときに非情にならねばならんこともある」との言葉は、西郷隆盛らと戦わなくてはならなくなった大久保利通の立場を代弁しているのだろう。

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