五代友厚 伏見と薩摩藩(2)
Godai Tomoatsu, Fushimi and Satsuma Domain (2)

御香宮
御香宮『都名所図会』 Goko-no-miya Shrine

慶応4年1月3日(1868年1月27日)、戊辰戦争の端緒となる鳥羽・伏見の戦いが始まった。幕府軍は伏見奉行所に、薩摩・長州藩兵は御香宮神社に陣を構え、激しい戦闘となった。伏見の町は炎に包まれ、薩摩藩屋敷も焼失した。同じ頃、兵庫沖では海戦が勃発しており、このとき五代友厚は薩船開聞丸にいたが、1月10日頃には大阪に入り、外国人対応などにあたっていたようだ。その後、五代は徴士参与兼外国事務掛を仰せ付けられている。

英公使館の通訳アーネスト・サトウ(Ernest Satow)によれば、鳥羽・伏見の戦いの負傷兵治療のため、寺島宗則と五代が、英医官ウィリアム・ウィリス(William Willis)を派遣してもらいたいと依頼に来たという。京都行きを承諾したウィリスとサトウのため、「五代は直ちに使者を遣って、明晩私たちが京都へ到着する前に伏見で許可証を受けられるように手配した」とも言っている。ウィリスとサトウは、1月24日朝、焼け落ちた大阪の薩摩藩邸から石段を下って舟に乗り、真夜中に伏見の宿に到着した。翌朝、竹田街道を通り、約3時間で京都二本松にあった薩摩藩邸近くの相国寺に到着している。島津忠義と西郷隆盛が歓迎の訪問にやって来たという。

2月末には英仏蘭公使が京都に参内する運びとなり、五代は、仏公使レオン・ロッシュ(Léon Roches)ら一行を大阪から京都まで護衛した。仏艦デュプレックス号(La Dupleix)の士官パリ(Pâris)の報告書には、伏見から京都へ向かう際の様子が次のように記されている。「・・・二人の艦長、五代氏と彼の通訳塩田(三郎)氏、そして残りの士官に随行された公使が続く。この人々はみな馬に乗っている。・・・二時間進んだあと、われわれは田舎の別荘のような所で休憩した。そこでお茶と蜜柑が振る舞われた。云々」この日は土砂降りの雨で、泥にまみれての行進だったとある。

The Battle of Toba–Fushimi started on 27 January 1868 and the Satsuma-Choshu Alliance forces decisively defeated the Tokugawa shogunate. Under the new government control, Godai Tomoatsu was appointed as an officer of Foreign Affairs Office.

<参考文献>
アーネスト・サトウ著 坂田精一訳『一外交官の見た明治維新 下』1960年
アベル・デュプティ=トゥアール著 森本英夫訳『フランス艦長の見た堺事件』1993年

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