五代友厚が生まれた鹿児島の城ケ谷付近を歩きました。現在は長田町となっています。
I walked around Jougatani, Kagoshima where Godai Tomoatsu was born in 1862. This area is now called Nagata-cho.
鹿児島市電の水族館口です。水族館は桜島フェリー乗り場近くの海に面した場所にありますが、水族館とは反対の山側へ向かいます。

しばらく歩くと右手に長田中学校が見えてきました。ここはかつて琉球館のあった場所です。琉球館は琉球国や中国との貿易をつかさどる役所で、大久保利通の父利世もここに勤務していたことがあるそうです。長田中学校の前の道路は、江戸時代には海につながる水路でした。


長田中学校となる前、ここは鹿児島高等商業学校でした。写真の左側に国道10号線の陸橋が見えます。鹿児島の五代友厚像は、現在泉公園にありますが、元はこの長田陸橋にたっていました。

国道10号線の信号を渡った先に最大乗院という真言宗のお寺があります。清水城の跡地にあった大乗院が廃仏毀釈で破壊されたため、ここに再興したものだそうです。五代友厚が慶応3年に拝領した屋敷は、清水の大乗院の近くにありました。



本堂はさほど大きくありませんが、境内には古くりっぱな石仏が多数、しかし雑然と置かれています。もともと大乗院にあった石仏だそうです。



大乗院は、島津家の尊崇厚い寺院でした。

最大乗院近くの踏切を渡り、坂を登っていきます。

三叉路に五代友厚誕生地まで350メートルという標識がありました。椋鳩十の家もこの辺りにあったようです。矢印に従い、谷筋の細い道をしばらく進みます。

五代友厚誕生地に到着しました。辺りは静かな住宅地です。

休憩所、ベンチ、水飲み場、トイレ完備。五代邸はかなり広かったことがわかります。

旧薩藩御城下絵図には「五代競太 三百五拾七坪」と書かれています。競太は、友厚のお兄さんの名前です。長男で徳夫とも呼ばれます。

五代友厚誕生地の石碑自体は昭和46年(1971年)から路上に設置してありましたが、平成28年(2016年)に多目的広場として整備した際、広場内に移設したそうです。碑は五代友厚が初代会頭を務めた大阪商工会議所の方向を向いてます。石碑下の石張りは、五代の名にちなんで五角形になっているそうです。




当時の面影が残っているのは石垣ぐらいでしょうか。いわゆるたんたど石というものだと思います。意外にやわらかいです。

城ケ谷はシラス台地の谷間にあり、両壁は切り立った崖と竹やぶです。友厚の号「松蔭」を思わせる松はもうありませんが、あずまやの蔭でゆっくり当時に思いを馳せることはできそうです。

来た道をさらに西へ進み、夏蔭城を目指します。

昔の地名である「城ケ谷」が、公園の名前に残っていました。
公園の四つ辻を右(北)に曲がって草牟田小学校の方向に歩きます。城ケ谷公園を左手に見ながらそのまま坂を登っても夏蔭城の山頂に出るようですが、今回は広い道を行くことにします。

草牟田小学校の南東角まで来ると四叉路になっています。一番左側(南側)の山道を進みます。

「通り抜けできません」の文字に一瞬ひるみますが、車が通り抜けできないだけなので、人が歩いていく分には問題ありません。

坂を登り階段を登り、だんだん眺めがよくなっていきます。

段々畑のようにいくつもの展望台があります。昔は見張り台だったのでしょうか。

夏蔭城址の石碑です。

山を登り切るとこのような眺めに出会えます。
郷中教育では、山坂達者といって山野を駆け巡って心身を鍛えたそうです。夏蔭城は山坂達者にうってつけの場所だったに違いありません。

来た道を戻り、再び五代友厚誕生地の前を通ります。

りっぱな石垣です。きっと江戸時代のままでしょう。五代友厚の兄徳夫(競太)が家を継いでここに住んでいましたが、屋敷は明治10年(1877年)の西南戦争で燃えてしまったようです。

現在は城ケ谷の名前は消えて長田町となっています。近くに神社があり、そこはもと福ケ迫諏訪神社と呼ばれていましたが、明治2年に改称され長田神社となりました。この神社の名前が地名に取り入れられたのかもしれません。
五代友厚誕生地と椋鳩十旧居の標識があった三叉路をそのまままっすぐ進んだすぐ先に、横山安武・森有礼成育之地の標柱があります。横山安武と森有礼は実の兄弟です。五代友厚の家とは本当にご近所と言えます。

もと来た道に戻り、踏切の手前を城山の方向(西)に曲がると西郷隆盛終焉之地があります。西南戦争最後の日、西郷隆盛らはこの岩崎谷を駆け下り力尽きたといいます。



岩崎谷の鹿児島本線の線路沿いをしばらく歩くとトンネルが見えます。トンネルの入口に、西郷隆盛座右の銘「敬天愛人」の扁額が掲げられています。

ここらで温泉に。西郷隆盛終焉之地の隣りによい温泉がありました。


<住所>
琉球館跡(長田中学校):鹿児島市小川町3-10
最大乗院:鹿児島市長田町2-23
五代友厚誕生地:鹿児島市長田町31
城ケ谷公園:鹿児島市長田町35
鹿児島市立草牟田小学校:鹿児島市城山2-3-1
夏蔭城跡:鹿児島市長田町36
横山安武・森有礼成育之地:鹿児島市長田町21
西郷隆盛終焉之地:鹿児島市城山町12
JR鹿児島本線トンネル口(敬天愛人の扁額):鹿児島市城山町16
湯乃山温泉:鹿児島市城山町12-1