
第5週「お姉ちゃんに笑顔を」で、五代友厚は「力を合わせて通商会社を作り、ビッグな取引ができるようにせんとあかんのです」「必ず政府もお助けいたします」と、大阪商人にカンパニー設立を促す。これは明治2年(1869年)設立の大阪通商会社・為替会社のことだろう。実際には、鴻池の山中善右衛門ら大阪の豪商6名が政府より上京を命ぜられ、東京で通商会社・為替会社の設立を懇々と勧説されたという。これに五代も同席していた。
また、五代が横浜の会計官権判事を任ぜられ、大阪商人らが五代を引き止めるシーンがある。五代へ横浜転勤の辞令が下りたのは明治2年5月で、これに対し大阪では151名もの連名で五代の復職を願う奉歎願候書付が出されたが、残留は許されなかった。
いったん横浜に赴任した五代であるが、第6週「妻の決心、夫の決意」で、「官に未練はあいもはん」と言って官を辞す。「大阪に戻った五代才助は、五代友厚と名を改め、大阪に時代の先端をゆく様々な会社を設立するなどして大阪商人たちから慕われるようになっていました」とナレーションにあるように、五代は大阪でまず金銀分析所を開設して財をなし、それを元手に鉱山を買い入れ、鉱山経営のための弘成館を明治6年に設立した。さらに活版印刷所や堺紡績所などにも関わっている。
第7週「だんな様の秘密」では、五代が失踪した山王寺屋惣兵衛のことを気にかけている。山王寺屋はあさの姉の嫁ぎ先である。モデルとなった天王寺屋は、大阪有数の両替商であったが、銀目廃止や藩債処分で痛手を受け、また新しい時代の波にのることもできず、明治に入り廃業を余儀なくされた。
第8週「京都、最後の贈り物」は銀行がテーマである。五代は「今井は政府の信用が一番厚い。貨幣制度の改革に一役買って資金もぎょうさんあるし、長州藩から役人になった井上馨さんも顧問になっててつながりも深い。日本で最初に銀行を作るのは、この今井屋さんをおいて他にないいうことです」と言う。あさの実家である今井屋は、京都油小路の三井家がモデルで、東京に移ってからは小石川に居を構えた。三井は、明治5年に日本初の銀行建築「海運橋三井組ハウス」を完成させ、明治6年には小野組とともに日本初の銀行「第一国立銀行」を発足させる。そして明治9年、ついに日本初の民間銀行「三井銀行」を開業した。
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