五代友厚 あさが来た<上>(1)
Godai Tomoatsu, Asa ga Kita (1)

堂島米市
堂島米市(摂津名所図会) Dojima Rice Market, Osaka

NHKの朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカさん演じる五代友厚が話題となり、五代の功績が広く知られるようになった。ドラマと実際の五代友厚の人生がどのように重なるかをみてみたい。

「あさが来た」は、大阪の豪商加野屋へ嫁いだ白岡あさが、時代の煽りで傾きかけた家業を盛り立て、女性実業家として生き抜く様を描いている。五代友厚は大阪経済を牽引する一方、あさを指南する役どころとして登場する。あさのモデルとなった廣岡浅子は嘉永2年9月(1849年)生まれ、五代友厚は天保6年12月(1836年)生まれで、ともに幕末に生まれ、大阪で明治維新をむかえた。

第1週「小さな許嫁」に登場した五代友厚は、「上海行きで気が急いておったのかもしれん」「殿様の命により上海で買い付けた船の代金の用立てを頼みたい」と言っている。これは、文久2年4月(1862年5月)、千歳丸で上海へ渡航したときのことだろう。五代は東上途中の島津久光を追い、大阪で千歳丸乗船の許しを得たという。そして、上海ではジャウジキリー号という蒸気船を購入したとされる。

また、五代が大久保利通と酒を飲みながら話をするシーンがある。久光は文久2年3月に小松帯刀や大久保利通を率いて鹿児島を出発したから、2人は実際に大阪で会っていたかもしれない。しかし、大久保と五代が親しくなるのは大久保が洋行から戻った明治6年ごろからで、また、大久保は五代より5歳も年上であるから、この時点で友人同士のようなやり取りがあったとは考えにくい。

第2週「ふたつの花びら」では、五代はロンドンからあさに手紙を書いている。五代が外遊していたのは慶応元年(1865年)のことで、五代を含め19名が薩摩藩から密航というかたちでイギリスに渡っている。五代ら引率組はヨーロッパを視察し、産業機械や武器を買い付け、森有礼ら留学組はロンドン大学などで勉学に励んだ。

第3週「新選組参上!」と第4週「若奥さんの底力」で、五代はあさに再会し、大阪の米会所を案内する。後日、五代はあさの嫁ぎ先である加野屋(モデルは加島屋)を訪れ、あさの夫白岡新次郎(モデルは広岡信五郎)に「新政府の参与で、大阪府権判事に任命された」と自己紹介し、「夏には大阪の港も開港します」と言っている。五代が大阪に移り住んだのは慶応4年(1868年)の初めで、新政府の徴士参与職・外国事務局判事兼大阪府権判事として大阪開港の準備や外国人居留地の設置に奔走する一方、次第に金融や財政の仕事にも携わるようになる。

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