五代友厚 薩長国産貿易商社(1)
Godai Tomoatsu, Satsuma-Choshu Trading Company (1)

赤間関地図
赤間関付近 大日本沿海輿地全図 Map of Akamagaseki(Library of Congress)

慶応2年1月(1866年3月)、京都の小松帯刀邸で西郷隆盛、木戸孝允、坂本龍馬らが会して薩長同盟が結ばれた。このとき五代友厚はヨーロッパ視察からの帰路、上海に滞在中で、2月に鹿児島に到着すると、御納戸奉行格御用人席外国掛として長崎在勤となった。

この年の6月7日に第二次長州征伐(四境戦争)が始まる。また、6月16日にはイギリス公使ハリー・パークス(Harry Parkes)らが鹿児島を訪れている。7月に徳川家茂が死去し、後継は慶喜と決まった。薩長同盟が功を奏し、長州軍は幕軍に勝利する。

こうした中、五代が高杉晋作に取りなしを頼み、8月に薩摩商人波江野休右衛門と加藤平八が下関の豪商白石正一郎に薩長商社の骨子を伝えに行った。これを聞いた木戸孝允は、大村藩の渡辺昇を長崎の五代のもとへ派遣したが、五代は鹿児島に戻っていたため、渡辺は五代に会うため鹿児島まで足をのばしたようである。

五代が自ら下関に赴いたのは10月で、11日に高杉晋作と面会し、14日には木戸孝允が広沢真臣を伴って下関に現れた。計画の実現に向け前向きな話し合いが行われたようだ。国事多端の折、10月17日に下関より五代が薩摩藩士桂久武に送った書簡は、むしろ長州の内情、京都の情勢が主で、他に米穀運送、紡績所の金策、また高杉の病気が重篤なことも記されている。

五代と高杉は、文久2年(1862年)に幕船千歳丸の上海派遣に同船し、上海でも行動を共にするなど親しくしていた。また、上海から戻った五代は江戸へ向かう途中の金谷で木戸と出会い、江戸まで同道している。白石正一郎は勤皇の志士たちを物心両面で支え、高杉の奇兵隊結成も援助した人物である。坂本龍馬も一時白石邸に身を寄せていたという。薩摩藩の御用商人でもあったから、おそらく五代とも何らかの関わりがあっただろう。

Godai Tomoatsu visited Shimonoseki in October 1866 and discussed measures to establish the Satsuma-Choshu Trading Company with Kido Takayoshi, Hirosawa Saneomi and Takasugi Shinsaku from Choshu Domain.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
宮本又次『五代友厚伝』1980年
松下祐三『薩長商社計画と坂本龍馬 ー坂崎紫瀾の叙述をめぐってー』「駒沢史学 第59号」2002年

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