五代友厚 坊中馬場(1)
Godai Tomoatsu, Bouchubaba (1)

大乗院
大乗院(三国名勝図会より) Daijoin, Kagoshima

鹿児島城(別名鶴丸城)は初代薩摩藩主、島津氏18代目当主の忠恒(家久)により慶長7年(1602年)に築城されたが、それ以前の鹿児島における島津氏の居城は、東福寺城、清水城、内城と遷り変わっている。

東福寺城があった場所は現在の鹿児島市清水町多賀山公園で、5代目当主貞久が南北朝時代に南朝側の矢上氏を攻め落とし、以降島津氏の拠点としたものである。

次の清水城は、現在の鹿児島市稲荷町の清水中学校に位置し、7代目当主元久が築城した。150年の長きに渡り島津氏の居城であったが、16世紀半ばに城が移ると、跡地には大乗院が建立された。大乗院は島津氏縁の寺として歴代藩主の尊崇厚く、薩摩藩で一、二を争う真言宗寺院となる。元久は島津氏の菩提寺として清水城の東に福昌寺も建立している。清水城の西には9代当主忠国のときに遷座し、島津稲荷とも呼ばれる稲荷神社がある。

内城は、15代当主貴久が清水城からわずかに海寄りの地に築いた城で、現在の鹿児島市大竜町大龍小学校の場所にあった。50年ほどで本城は鹿児島城に移り、内城の跡地には臨済宗に属する大龍寺が建てられた。

五代友厚は、慶応3年4月(1867年5月)に鹿児島郡坂元村坊中馬場に8畝3歩(約240坪)の屋敷を拝領した。坊中馬場は大乗院の前を流れる稲荷川に架かる大乗院橋から大乗院の外門にあたる仁王堂にかけての道筋のことで、大乗院の支院が10坊も並んでいたという。五代家の城ケ谷の屋敷は長男徳夫が継ぎ、友厚は次男であったから、坂本家のトヨを娶り分家してここに籍を移したのである。

Godai Tomoatu married Sakamoto Toyo in 1867 and made his residence in Bouchubaba, Kagoshima near the Daijoin Temple which was built on the old site of Shimizu Castle.

<参考文献>
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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