五代友厚 鹿児島紡績所(2)
Godai Tomoatsu, Kagoshima Cotton Mill (2)

鹿児島紡績所
鹿児島紡績所 Kagoshima Cotton Mill

五代友厚らがイギリスで購入した木綿紡績機械は、英マンチェスターのプラット・ブラザーズ社(Platt Bros. & Co.)で誂えたものだが、五代らの洋行に同行したグラバー商会(Glover & Co)の手代ライル・ホーム(Ryle Holme)はマンチェスター出身、その兄エドワード・ホーム(Edward Holme)はプラット・ブラザーズの社員であったから、ここでの購入はもともとある程度計画されていたのだろう。

日本初の洋式紡績工場は、集成館機械工場近くに建設されることとなり、薩摩藩勝手方御用人松岡政人と作事奉行折田年秀が取り仕切った。慶応2年11月26日(1867年1月1日)に起工、慶応3年5月に竣工したという。金策のため、五代友厚は慶応2年10月17日桂久武宛ての手紙で、播州阿形の松尾七兵衛に談判すると書いている。五代は、松尾七兵衛の嗣子、松尾臣善(寅之助)と交流があったようだ。松尾臣善は後に6代目日本銀行総裁となる人物である。

英公使館の通訳アーネスト・サトウは、慶応2年11月27日に鹿児島を訪れた際、シリングフォード(Shillingford)、サットクリフ(Sutcliffe)、ハリソン(Harrison)という3人のイギリス人に会ったという。シリングフォードは、元治元年(1864年)に来日、鹿児島に来るまでは横浜で建築事務所を営んでいた。サットクリフとハリソンは、サトウ曰く「仕事を捜しに鹿児島へやって来ていた」。鹿児島紡績所のイギリス人技師はこの3人とプラット・ブラザーズから派遣された4人の計7人で、4人のうち据付担当のジョン・テトロウ(John Tetlow)は、紡績機械とともに慶応3年1月に鹿児島へ到着したことがわかっている。もうひとりは司長として雇用されたエドワード・ホーム、あと2人は氏名不詳である。

Spinning machinery which Godai Tomoatsu purchased from Platt Brothers & Co in Manchester was installed in Kagoshima Cotton Mill.  The mill was constructed in the Shuseikan area near Iso beach in 1867.

<参考文献>
アーネスト・サトウ著 坂田精一訳『一外交官の見た明治維新 上』1960年
大阪商工会議所編『五代友厚関係文書目録』1973年
加東郡教育会『加東郡誌』1923年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年

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