五代友厚 上申書(2)
Godai Tomoatsu, Opinion Brief (2)

五代友厚堀孝之ライルホーム
五代友厚・堀孝之・ライルホーム Godai Tomoatsu, Hori Takayuki, Ryle Holme

五代友厚は、元治元年(1864年)、藩に上申書を提出し、英仏へ16人の留学生を送ることを提言し、人選については次のように述べている。

4人は追々家老職につくべき者より人選
2人は軍賦役より人選
3人は攘夷論を唱える壮士より人選
以上は、軍務・地理・風俗を見分けさせる
1人は郡奉行より人選、農業耕作の機械を究めさせ、また誂えさせる
2人は台場・築城・砲術の心得のある者を人選
1人は造士館より人選、諸学校・病院などを研究させる
3人は細工並びに機械取り扱いや絵図面を達者に写せる者を人選

実際に選ばれてイギリスへ渡航したのは、以下の16人に引率の五代、寺島宗則(松木弘安)、通訳の堀孝之を加えた計19人であった。

新納久脩
町田久成
畠山義成
名越時成
村橋久成
朝倉盛明
鮫島尚信
松村淳蔵
森有礼
高見弥一
東郷愛之進
吉田清成
長澤鼎
町田申四郎
町田清蔵
中村博愛

留学生の半数以上は、薩摩藩開成所で蘭学や英学を学んでいた10代後半から20代前半の若者で、最年少は当時13歳の長澤鼎(磯永彦助)であった。人選にあたっては、開成所教授石河確太郎の意見がかなり取り入れられたようだ。

帰国後は明治政府の顕官となった者が多いが、長澤鼎は渡米し永住することを決意し、ワイナリーの経営者として「葡萄王」と称せられるまでになった。朝倉盛明(田中静洲)は生野銀山で仏人技師を通弁し、鉱山局長をつとめた。五代も鉱山業に携わっていたから関係は深い。後に初代文部大臣となった森有礼は、五代と同じ城ケ谷の出身である。吉田清成は大蔵官僚や外交官として活躍し、五代が東京滞在中によく会っていた。往復書簡も多く残っている。五代は吉田が帰国した際、野村盛秀宛の手紙に「吉田の人となり暴激なりしも今見るに余程温和にて別人を見る如し」と書いている。

<参考文献>
大阪商工会議所編『五代友厚関係文書目録』1973年
公爵島津家編輯所編『薩藩海軍史 中巻』1928-1929年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
長谷川洋史「薩摩藩留学生イギリス派遣に関する石川確太郎上申書の解析」『日本経大論集第43巻第2号』2014年

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