薩英戦争の舞台となった桜島を訪ねました。
I visited Sakurajima Island to trace the historic sites related to the Anglo-Satsuma War.
鹿児島港フェリーターミナルから桜島フェリーに乗ります。ターミナルは、新波止台場跡のすぐ近くです。この日は「よりみちクルーズ」という錦江湾を少し寄り道しながら50分ほどかけて桜島に渡る船に乗りました。



桜島に向けて出航。どこから見ても雄大です。

遠く南の方に神瀬(かんぜ)と沖小島(おこがしま)が見えます。薩摩半島と桜島のあいだにある小さな島々ですが、海戦においては要衝となる場所にあります。

神瀬には灯台があります。岩礁や浅瀬にあるものは、正確には灯標というそうです。大正元年(1912年)に設置されたときは赤色でしたが、今は建て替えられて白色です。薩英戦争時、ここには石を積んだ台場が築かれていましたが、砲台の設置は間に合わなかったようです。よりみちクルーズの際は見えたこの島、帰りは見えませんでした。つまり、干潮のときは海面から現れ、満潮のときは海に沈んでしまう島なのです。


神瀬のさらに南に沖小島が見えます。神瀬よりだいぶ大きい島ですが無人島だそうです。薩英戦争時、沖小島には15門もの砲台が配備され、沖小島と桜島の燃崎の間には水雷が付設されていました。英国艦隊が横浜を出港するより前の文久3年6月5日(1863年7月20日)、小松帯刀や大久保利通らが沖小島砲台を巡視し、演習射撃をさせたといいます。

大正噴火のときにできた溶岩原も海から見ることができます。

桜島港フェリーターミナルに到着。接岸がスピーディーで設備もほとんど機械化されていることに驚きます。駐車場の枠内にぴったり駐車する自動車のように船が港に入っていきます。


新しいフェリーターミナルが完成し、2018年3月から供用を開始しています。

桜島港フェリーターミナルを出て正面に薩英戦争砲台跡の説明板があります。ここは横山(袴腰)砲台跡で、薩英戦争時には4門の砲台が備えられていました。


説明板に、薩英戦争における各船の動きや砲台の場所が描かれた図があります。その説明文がまたおもしろい!



フェリーターミナルの北側にある駐車場付近からの眺めです。五代友厚と寺島宗則が乗った青鷹丸は桜島の小池沖に曳航されました。小池はここよりさらに北に行ったところです。

駐車場の向かい側に桜島海軍基地跡があります。太平洋戦争末期に日本海軍の基地があった場所だそうです。壕の入口跡がいくつも並んでいます。


袴腰台場の袴腰は袴のかたち、つまり台形を意味します。1914年の大正噴火で地形が変わってしまい、現在その面影はありませんが、噴火前の海岸線は確かに袴のかたちをしていました。薩英戦争のとき、ここは海岸線から突き出た場所だったため台場が築かれたわけです。



烏島砲台跡を目指し、南に向かって歩きます。途中、道の駅で桜島大根を見ることができました。大きいです。白い花がめいっぱい咲いているので、収穫の時期は過ぎているのかもしれません。



海側の道を歩いてさらに南下します。
ところどころ退避壕があります。万が一、桜島が激しく噴火したときはここに逃げ込むわけです。


左手に見えるあずまやのようなところが烏島展望台です。桜島にぶら下がる桜島大根型の街灯がよくできています。


烏島展望所に到着です。桜島港フェリーターミナルから寄り道せずに歩けば40分ぐらいでしょうか。バスで来ることもできます。


烏島というだけあって、ここはかつて島でした。大正噴火の溶岩に飲み込まれ、烏島は桜島の一部となりました。桜島と大隅半島が地続きになったのも、この大正噴火のときです。

溶岩石のかたまりのような展望台に登ると、烏島砲台跡の説明板がありました。

烏島には3門の砲台が置かれていました。


烏島から鹿児島市街を見渡すことができます。鹿児島港フェリーターミナルや城山も見えます。


桜島港フェリーターミナルに戻る途中で温泉に。国民宿舎レインボー桜島のマグマ温泉は、本当にマグマ色をしています。いいお湯でした。眺めも抜群。

桜島を後にします。ここを大砲が行き交ったとは・・・。薩英戦争のときは台風で暴風大雨でした。

鹿児島港フェリーターミナルに到着する手前で、新波止台場跡を海から見ることができます。台場のかたちが残っているのがわかります。

<住所>
神瀬:鹿児島市桜島横山町神瀬
沖小島:鹿児島市桜島横山町沖小島
横山(袴腰)砲台跡: 鹿児島市桜島横山町
道の駅「桜島」火の鳥めぐみ館:鹿児島市桜島横山町1722-48
烏島砲台跡: 鹿児島市桜島横山町
桜島マグマ温泉:鹿児島市桜島横山町1722-16(国民宿舎レインボー桜島内)