五代友厚 薩英戦争 開戦(2)
Godai Tomoatsu, The Bombardment of Kagoshima_Open Fire (2)

英艦入港戦争図
柳田龍雪 英艦入港戦争図 Anglo-Satsuma War by Yanagida Ryusetsu

重富沖に避泊していた薩摩藩の蒸気船、青鷹丸(Sir George Grey)、天祐丸(England)、白鳳丸(Contest)は、文久3年7月2日(1863年8月15日)の朝、イギリス艦隊に拿捕された。イギリスは横浜港に艦隊を配置し威嚇することによって幕府から生麦事件の賠償金10万ポンドを獲たばかりだったから、薩摩藩にも同じ手法で迫ったわけだが、思うような展開にならない。蒸気船を拿捕し、より良い条件で駆け引きしようと考えたのだ。

五代友厚は天祐丸の船長であったが、イギリス側が乗り込んできたときには、寺島宗則(松木弘安)とともに青鷹丸にいた。五代らは、宣戦布告もなく何をもって船を略奪しようというのかと抗論し引き渡しを拒んだが、英側の威嚇に力及ばず、乗組員らを陸に下ろし、五代と寺島のみが自発的に捕虜となる。

英公使館の通訳アーネスト・サトウ(Ernest Satow)が、このときの様子を次のように記している。

われわれは、決して捕虜を獲るつもりはなかったのだが、二人の日本人がサー・ジョージ・グレー号(青鷹丸)に残っていて、私に向かって五代と松木弘菴(ママ)であると名乗った。この二人は旗艦に移されてから、オタニと柏という変名を用いた。前者は気品のある容貌のすこぶる立派な男子で、私の見るところでは船長だったと思う。もう一人は医者だったが、この方は一八六二年の第一回日本遣欧使節に随行してヨーロッパへ行き、ちょうど帰国したばかりであった。

蒸気船が捕獲されるのを見た薩摩藩は、各台場から一斉に砲撃を開始する。この日は暴風雨であった。イギリス側は薩摩藩の3隻の蒸気船内にあった金銀物品を略奪の末、火を放った。蒸気船は五代が上海等で苦労して購入してきたものである。無念だったに違いない。

On 15th August 1863, the British squadron seized three foreign-built steamships (Sir George Grey,  England and Contest) in Kagoshima bay.  Godai Tomoatsu and Terajima Munenori who were the commanders of these ships were voluntary imprisoned by the British navy.

<参考文献>
アーネスト・サトウ著 坂田精一訳『一外交官の見た明治維新 上』1960年
公爵島津家編輯所編『薩藩海軍史 中巻』1928-1929年

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