五代友厚 薩英戦争 口火(2)
Godai Tomoatsu, The Cause of Bombardment of Kagoshima (2)

英国作製鹿児島港戦闘航跡図
英国作製鹿児島港戦闘航跡図 Kagoshima Harbour, 1863

薩英戦争が始まる直前、英国公使館付け医師デビッド・フィールド・レニー(David Field Rennie)は、長崎で五代友厚に会ったことを書き残している。

文久3年6月23日(1863年8月7日)、レニーは英商トーマス・グラバー(Thomas Glover)に長崎製鉄所や製茶工場を案内された後、薩摩藩の役人に会って私的な見解でよいので賠償金問題について話をして欲しいと頼まれ、五代の私邸を訪れる。家にはもうひとり英語を話す日本人がおり、通訳として雇われていたという。おそらく堀孝之のことだろう。2階に案内されると漆塗りの盆にのった茶と果物が供された。

レニーらが五代に「英艦隊は賠償金を要求する国書を携え、すでに鹿児島に向かっている。艦隊が姿を現しても決して戦闘行為に出ないように」と釘を刺すと、五代は「藩主はこの件に大変神経をとがらせている。家臣が過激な行動に出ないか懸念している」と答えた。また、「朝廷や幕府も関係してくるので賠償金を公に支払うのは難しい、非公式に払うことはできないか」とも聞いている。

この後、五代は長崎在勤の薩摩藩高官である蓑田伝兵衛に手紙を書き、それを通訳に持たせて、レニーに通訳と一緒に蓑田に会いに行くことを請うた。五代とグラバーは別の話を済ませて遅れて蓑田のところに到着した。話の内容は先に話したことの繰り返しであったとレニーは書いている。ここにはテーブルと4脚の肘掛け椅子があって、グラスに注がれたオランダ製のシャンパンとスポンジケーキが出されたという。

グラバーは、帰る道々、レニーに「賠償金をグラバー商会経由で支払う話もあったが実現しなかった。しかし、イギリス側が受け取りに同意さえしていれば薩摩藩は支払っていた」と話した。レニーはこの日、上海行きの汽船に乗り長崎を発った。

Godai Tomoatsu met David Field Rennie, the British legation doctor, and Thomas Glover, the British merchant, in Nagasaki on 7th August 1863. Godai was exploring ways to avoid war between Kagoshima and Britain.

<参考文献>
David Field Rennie, “The British Arms in North China and Japan: Peking 1860; Kagosima 1862”, 1864

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