五代友厚 親兄弟(1)
Godai Tomoatsu, Parents and Siblings (1)

仙巌別館江南竹記
仙巌別館江南竹記 Monumental Inscription of Bamboo Forest, Senganen Garden

五代友厚の父、直左衛門秀堯(ひでたか)は薩摩藩の儒官で、漢学の造詣深く、特に仏書に通じていたという。御記録奉行として橋口兼柄らとともに三国名勝図会を編纂した。全60巻からなる三国名勝図会は、島津斉興の命により薩摩、大隅、日向領内の地誌や名所をまとめたもので、天保14年(1843年)に完成している。秀堯は、探勝園記や仙巌別舘江南竹記などの碑文も謹撰している。大久保利通は16歳から記録所書役助として出仕していたというから、大久保にとって秀堯は上司の一人であったかもしれない。

天保15年3月、フランス軍艦アルクメーヌ号(L’Alcmène)が貿易と布教を求めて琉球に来航する事件があった。仏艦の再来に備え警備に赴く友人のため、秀堯は琉球秘策という意見書を書いている。秀堯曰く、清国アヘン戦争の例をもってしても西洋諸国との交戦は避けるべきであり、そのため琉球においては通商を認めることもやむを得ない。ならば貿易を薩摩藩の利になるよう計策すればよい。この書は後に島津斉彬も閲読するところとなった。五代友厚の現実的な認識の上に立った開国論は、父秀堯譲りであったに違いない。

友厚の母やす子は、本田氏の出で、殿の乳母をもつとめ、女傑として知られていたという。天保10年(1839年)に秀堯が高橋景保作成の世界地図「新訂萬國全圖」を模写したが、秀堯の書き込みによれば、友厚の兄友健(徳夫)とやすもこれを手伝い、やすは四隅にある地図を模写したとのことである。

<参考文献>
鹿児島市『鹿児島市史第3巻』1971年
黒田安雄「『琉球秘策』について」『愛知学院大学文学部紀要 13号』1983年
宮本又次『五代友厚伝』1980年
産経ニュース『歴史のささやき 五代家が模写した世界地図』2016年12月2日http://www.sankei.com/region/news/161202/rgn1612020034-n1.html

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