五代友厚 城ケ谷(1)
Godai Tomoatsu, Jougatani (1)

五代氏系図
五代氏系図 Godai Family Tree(五代友厚伝記資料 第四巻)

五代友厚は、天保6年12月26日(1836年2月12日)、五代直左衛門秀堯(ひでたか)とやす子の次男として薩摩国鹿児島郡城ケ谷に生まれた。兄は徳夫、姉は廣子、妹は信子といった。友厚の幼名は徳助、または才助といい、才助は薩摩藩主島津斉彬により命名されたという。才助といわれるほどに明敏で俊才な子どもだったのだろう。

友厚を名乗るようになったのは五代が30代後半になってからである。明治初年に新政府から交付された辞令はすべて才助であり、明治5年(1872年)に五代が大阪鹿児島県出張所に宛てた書類にもまだ才助と署している。書簡や書類に友厚の名が出てくるのは、弘成館を創設した明治6年頃からのようだ。号は松蔭で、これは城ケ谷の邸に松の木が多かったためとも伝えられる。

五代氏家譜を見ると、その名前のほとんどに「友」の字が含まれており、友厚の名もこれ倣ったものだろう。兄の徳夫は友健という。天保10年(1839年)には父秀堯が徳夫のことを友健と呼んでおり、このとき徳夫は10代であったはずなので、もしかすると友厚の名ももとより早い段階で決まっていたのかもしれない。

五代家の祖先は島津家と同じ惟宗姓で、北条時政の時代に惟宗康友が川内にある新田宮の執印職ならびに五大院院主職に補任され、康友の子孫がそれぞれ執印氏、五代氏を名乗るようになったと言われる。五代家は、古くは小田原征伐や朝鮮の役、関ヶ原の戦いなどで手柄を立てるなど武勇をもってなる家柄といい、家格も禄高も高い方であった。

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第一巻』1971年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
宮本又次『五代友厚伝』1980年
産経ニュース『歴史のささやき 五代家が模写した世界地図』2016年12月2日http://www.sankei.com/region/news/161202/rgn1612020034-n1.html

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