五代友厚が長毛賊との合戦を見たという上海の浦東に行きました。
I visited Pudong of Shanghai where Godai Tomoatsu saw the battle of the Taiping Rebellion.
外灘の延安路に近い金陵東路渡口から船に乗って浦東へ渡ることにします。上海には渡し船の乗降場がいくつかありますが、中でも金陵東路渡口は千歳丸一行が滞在していた宏記館やオランダ領事館からすぐの場所にあります。千歳丸もこの近くに投錨していたようです。

黄浦江から見た金陵東路渡口です。乗り場近くの窓口で運賃を払ってコインをもらい、そのコインをゲートで渡して乗船します。運賃はたったの2元でした。

船から浦西側の外灘を一望できます。

浦東新区の高層ビル群が近づいてきます。


浦東の東昌路渡口に到着しました。

東昌路渡口の近くに古い灯台があります。今はレストランになっているようです。

富城路を北へ進み、黄浦江沿いの遊歩道へ出ます。

黄浦江には埠頭の跡らしきものがたくさん残っています。このあたりには、かつて怡和洋行(Jardine, Matheson & Co.)や太古洋行(Butterfield & Swire Co.)の埠頭がありました。




北に向かって歩き続けると、やがて濱江公園の広場に出ます。モニュメントの説明文によれば、ここは立新船廠(Lixin Shipyard)という造船所があった場所だそうです。今はおしゃれなカフェやレストランもあり、黄浦江からの風が気持ちのよい憩いのスポットといったところです。対岸に広がる外灘の眺めももちろんすばらしいです。



満潮と高波が重なったのか、遊歩道に水が入り込んでいます。この日は渡し船も一時不通になっていました。

作業員さんたちが水を掻き出していました。黄浦江の水も泥がかなり混じっています。

しかし、この日はすばらしい快晴!青く澄んだ空にテレビ塔が映えます。この青さは上海の空にしては珍しいかもしれません。

浦東の先端の辺りまで来ました。蘇州江と黄浦江が交わるところです。東方明珠遊船碼頭という埠頭があり、遊覧船の発着場になっています。この近辺にもかつては造船所が並んでいました。


東方明珠遊船碼頭の川向こうは上海港国際客運中心、つまり国際フェリーターミナルです。ちょうど上海と大阪・神戸を行き来する新鑑真号が碇泊していました。五代友厚も設立に寄与したとされる日本郵船会社の埠頭があったのがこのあたりで、昔から日本と関係の深い場所です。

東方明珠電視塔に来ました。1994年にできたテレビ塔です。大きすぎて先端がカメラに収まりません。浦東で一番の観光スポットで、タワー前の広場は人でいっぱいです。

中国でも人気者・・・くまモン。
テレビ塔の中にある上海城市歴史発展陳列館に入ってみました。1945年以前の上海の歴史を紹介しています。

このスタイルの人力車は日本から入ってきたとのこと。

洋涇浜です。イギリス租界とフランス租界の境界でした。洋涇浜はもとは水路でしたが、現在は埋め立てて延安路という道路になっています。五代友厚らが上海に滞在していたときはまだ水路でした。千歳丸一行は洋涇浜より南のフランス租界に宿泊していました。

公共租界の境界石です。共同租界はイギリス租界とアメリカ租界をまとめたもので、後に日本も加わりました。

共同租界に設けられた工部局を再現したものです。工部局は租界の行政機関ということでしたが、次第に上海そのものを支配するようになります。

人形がまことにリアル。生きているようです。ちなみに、この陳列館は非常に広いです。テレビ塔の中にあってさほど目立たず入口も狭いので軽くみていましたが、歩けど歩けど出口が見えません。中国は博物館も広い。展示はたいへん充実しています。入館料は若干高めですがお勧めです。

阿片窟を再現したものです。千歳丸メンバーの日記にもアヘン中毒者の問題が記されていました。その後、日本がアヘン流入に気を遣ったのは言うまでもありません。

望平街の再現模型。望平街は上海の新聞街です。有名な墨海書館もこのあたりにあったようです。五代友厚は新聞や印刷物に対し常に並々ならぬ関心を持っていましたが、五代が訪れた1860年代の望平街は、まだこの模型ほど賑やかな場所ではなかったでしょう。

静安寺の門前にあった井戸の風景。千歳丸メンバーは清潔な飲み水が手に入らないことに始終悩まされ、滞在中コレラの犠牲者も出ました。上海で井戸は数えるほどしかなく、濁った川の水を飲まざるを得なかったためです。コレラで亡くなった日本人を浦東の爛泥渡に埋葬したという記録がありますが、爛泥渡というはテレビ塔の少し東側の地域です。

茶園の再現模型です。細部まで作り込まれています。丹桂茶園は1867年創設で京劇を上演していたそうです。五代友厚も幾度かの上海滞在中、観劇に行ったという記録があります。どのような芝居をみていたのでしょうか。

江海北関、外灘にあった税関の模型です。千歳丸メンバーも訪れています。中国の税関に中国人だけでなく、イギリス人が多く働いていることに驚いたようです。

陳列館のあまりの広さに展示を見終わって外に出ると暗くなっていました。テレビ塔周辺のイルミネーションはまさに近未来都市の様相です。幕末に上海を訪れた日本人たちが、今この光景を見たらひっくり返るのでは・・・。

今回訪れた浦東は、外灘の対岸にある黄浦江沿いの開発された地域だけでした。五代友厚が見たという長毛賊との合戦、つまり太平天国の乱の戦場というのは、浦東でもおそらくもっと東の長江に近いところではなかったかと思います。
<住所>
金陵東路渡口:上海市黄浦区中山東二路141号
東昌路渡口:上海市浦東新区濱江大道東昌路
濱江公園:上海市浦東新区濱江大道
東方明珠遊船碼頭:上海市浦東新区濱江大道2852号
東方明珠電視塔:上海市浦東新区浦東世紀大道1号
上海城市歴史発展陳列館:東方明珠電視塔内1階