上海旧市街の北側を歩きました。五代友厚らの乗った千歳丸はフランス租界沖に碇泊していましたが、フランス租界は上海県城の城壁から北のエリアでした。
I walked around the northern side of the old city of Shanghai. French Concession where Senzai-maru members were staying in 1862 was to the north of the city wall.
外灘を南に下り東門路を西に折れてしばらく歩くと、金文字の光る重厚な建物が右手に現れます。童涵春堂という漢方薬店です。

童涵春堂の横が昔の小東門にあたる場所です。ここから旧城内に入ろうと思います。童涵春堂のビルはもともと中国銀行だったようです。1783と書いてありますが、これは建物ができた年ではなく、この漢方薬店が創業した年です。どちらにしても古いです。

門の左にある建物も歴史がありそうです。こちらは1920年頃に建てられた仁記珠宝銀楼のビル。仁記洋行(Gibb, Livingston & Co.)と関係があるのでしょうか。今は1階に日本のコンビニが入っています。この門の右と左で人民路と中華路にわかれます。

門をくぐり城内を西に進みます。この道は方浜中路です。方浜中路は上海老街とネーミングされ、観光客に人気の土産物店などがたち並ぶ通りになっています。しばらく歩くと城隍廟の前に出ました。豫園の真南にあたります。

城隍廟は明代の15世紀に創建された道教のお寺です。山門にある「保障海隅」という文字は「海辺を守る」つまり上海を守ってくれるという意味だそうです。

チケットを買って中に入ります。中国人観光客と外国人観光客と、そしておそらく地元民も入り乱れてすごい人の数です。お堂や廟がたくさんあります。神様が着ている着物や帽子は明時代のスタイルのものだそうです。


中国式のお参りは、まず長い線香を捧げ持って各方角にお辞儀をし、神殿の中で膝をついて頭を垂れる動作を何度か繰り返すというもののようです。

城隍廟を出て豫園に向かいます。周辺は豫園商城といって昔の中国風の建築を模したビルに商店やレストランが入るショッピングエリアになっています。

豫園の入口に行く途中に渡る九曲橋です。もとはここも豫園の一部でした。

幾重にも折れ曲がっていて一見歩きにくそうに見えますが、曲がる度に異なる景観に出会えるというまさに計算し尽くされた橋です。

橋を渡る人の数もすごいですが、橋の下を泳ぐ鯉の数もすごいです。小さいので金魚かも。

橋の先にあるのが湖心亭という茶楼です。五代友厚らが乗った千歳丸が上海に来たときにはすでに茶楼として営業していました。当時の茶館はお茶だけでなく水タバコも出したようです。

湖心亭でお茶の釜炒りを実演中。茶葉だけ買うこともできます。

豫園です。豫園は四川省の役人であった潘允端が自分の父親を愉しませるため、16世紀後半に造園した庭園ということです。面積の限られた城内に個人でこれだけの庭園を造ることができるとは、どれほどの有力者だったのでしょう。


建物も通路も瓦も凝っています。見ていて飽きません。



これは200年前からある柘植(つげ)の木だそうです。千歳丸が到着した1862年より前からここにあったのですね。

敷石まで凝っています。


豫園の一番奥にある点春堂です。小刀会という秘密結社が1850年代に上海で蜂起した際、その司令部が置かれていました。小刀会や太平天国(長毛賊)の乱により、1850年〜60年代の上海にはたくさんの難民が流れ込んでいました。当時は豫園も荒廃していたようです。千歳丸のメンバーの日記にも豫園の名前は出てきません。訪ねることもなかったのでしょう。



回廊を支える岩石まで凝ってます。

あちらこちらに設置されている腰掛け。作りも凝っていますが、背もたれの角度が絶妙で座り心地抜群です。いつまででも座っていられます。寝ている人もちらほらいました。

大量の鯉。小さいので金魚かも。

あらゆるものが凝っています。

三階建ての観涛楼です。清代まで城内で最も高い建物だったそうです。最上階からの眺めはさぞかし良かったろうと想像できます。

豫園見学を終えて外に出ると、やはりすごい人人人。

豫園の派出所はバス型の移動式でした。

千歳丸のメンバーが表敬訪問した道署は、豫園と豫園の南にある復興東路の中間ぐらいに位置していましたが、現在その辺りは道路になっています。今回は旧上海県城で唯一残っている城壁を見にいくことにします。安仁街を北にあがって昔の新北門のあたりから人民路に出ます。

人民路を西に進みます。途中、山盛りの天津甘栗など見かけました。

人民路の小北門バス停を通り過ぎると
ありました!大境閣と城壁です。とてもきれいに残っています。旧上海県城で城壁が残っているのはここだけです。


豫園の喧騒がうそのようにひっそりしています。チケットを購入して中に入ります。


楼閣の2階へ上がります。

ここに見張りをおいたのでしょうか。がっちりした造りで壁には銃眼のような穴が開けてあります。


楼閣の中に関帝廟もありました。

大境閣と城壁は、1992年から3年の歳月と900万元の費用をかけて修復され、一般に公開されるようになったそうです。


レンガに「咸豊五年」の刻印があります。1855年のことです。

道教書画院というギャラリーも併設されていて、書画の展示を行っていました。

この大境閣、すばらしく歴史を感じられる本当にいいところです。ほんの一部でも城壁を残しておいてくれてありがとうと思えます。訪れる人がほとんどいないのが残念。

場所は、人民路と大境路が交わる交差点の角です。
昔の城壁沿い、今の人民路と中華路を循環するバスもあるようです。停留所は、老西門、小北門、老北門、新北門、人民路新開河路、小東門、大東門、小南門、大南門、中華路尚文路、再び老西門ということです。各門を制覇できます。千歳丸が訪れていた当時は夕方に城門が閉まり、佐賀藩の中牟田倉之助は危うく外に出られなくなりそうになったことがあったそうです。

<住所>
童涵春堂:上海市黄浦区人民路1号
上海城隍廟:上海市黄浦区方浜中路249号
湖心亭:上海市黄浦区豫園路257号
上海豫園:上海市黄浦区安仁街218号
大境閣:上海市黄浦区大境路239号