五代友厚 上海県城(2)
Godai Tomoatsu, The Old City of Shanghai (2)

湖心亭
湖心亭 HuXinTing, Shanghai

上海到着3日目の文久2年5月8日(1862年6月5日)、千歳丸の一行は、蘭・仏領事らとともに上海城内の道署を訪問した。納富介次郎は、道署のことを「十八省中一省毎に道尊道爺がおり、その公館を道署と称する」と説明している。五代友厚は千歳丸に水夫として乗り込んでおり、従うべき官吏がいなかったので道署へは同道していないだろう。

当時の道署は東門より入って城内のほぼ中央に位置し、寺院のような造りで入口が三門あり大砲や銃も備えてあったが思いのほか手狭だったということである。一行が門前に到着すると、喇叭(らっぱ)、砲発三声、鐘が鳴り、朱門が開いた。道台の呉煦が自ら出迎えてくれ、挨拶の後、梅酒、茶、雲片糕など珍菓の饗応を受けたという。幕吏が「道台は才子と相見え申候」と言ったというように、呉煦の日本人への対応はその後も賢明かつ丁重なものであったようだ。

一方、道署の官吏や下僕たちは主客をはばからず騒ぎ、覗き見をし、庭前には古い衣服が晒されたままで、残った菓子や酒を盗むことさえしたとこの日道署に行った者は一様にその堕落ぶりを嘆いている。また、城内の道が狭隘で、ひどく汚穢であることも記している。

城内については、長崎商人の松田屋判吉が、中国人に連れられ大きな茶屋に行ったことを日記に書いている。1階と2階に椅子とテーブルがあり、湯と手ぬぐいを持ってきてくれ水煙草も出る。休憩に立ち寄る多くの人で賑わっており、支払いは中国人がしてくれたが一人前菓子なしでおそらく30文ぐらいだろうとのこと。これは今も豫園近くに残る湖心亭のことか。

<参考文献>
小島晋治監修『中国見聞録集成 第一巻』1997年
小島晋治監修『中国見聞録集成 第十一巻』1997年
黄栄光「幕末期千歳丸・健順丸の上海派遣等に関する清国外交文書について」『東京大学史料編纂所研究紀要第13号』2003年

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