五代友厚ら幕末に訪れた日本人たちも歩いた上海の旧租界エリア、外灘を歩きました。
I walked around the Bund in Shanghai, from north to south, from the Park Bridge to former Hongkong Shanghai Bank building.
上海地下鉄の天潼路駅 で降ります。10号線と12号線が通っています。蘇州河の北側にある駅です。

蘇州河沿いの遊歩道を東へ向かって歩きます。蘇州河沿いは再開発プロジェクトが進んでいるらしく、古い建物を改装したしゃれた店舗などを時折見かけました。

1924年に建てられた上海郵政総局の立派な建物。郵便局に加え上海郵政博物館も付設しています。

上海郵政総局前の四川路橋です。現在の橋は1922年に架けられたものです。裏白渡橋と呼ばれていました。

さらに東に向かって歩くと、遠くに銀色の橋が見えてきました。外白渡橋です。蘇州河の南側に広がるイギリス租界と蘇州河北側に発展しつつあったアメリカ租界をつなぐために架けられました。橋の向こうは浦東の高層ビル群です。

蘇州河の南側に並ぶ赤煉瓦の建物は、新天安堂や新天安堂教会公寓などです。教会は1886年に建てられたということですから、五代友厚らが上海に行った頃にはまだありませんでした。元の建物は焼失し、現在あるのは2010年に再建されたものだそうです。

外白渡橋まですぐそこです。

外白渡橋に到着しました。最初に橋が架けられたのは1856年で、当初は木造の橋でした。五代友厚ら千歳丸のメンバーはこの橋を大橋と呼んでいましたが、そのときはまだ木橋だったわけです。

外白渡橋北詰めの交差点にあるアスターハウスホテル(浦江飯店)です。現存の建物は1910年に改修されたものですが、1860年からこの地にありました。千歳丸が来たときにはすでにここにあったことになります。創業者リチャーズ・アスターの名前からもとは礼査飯店(リチャーズホテル)と呼ばれていました。1846年の創業時はフランス租界にあったそうです。20世紀初めには中国随一のホテルといわれ、多くの有名人も宿泊したとのことです。

外白渡橋が現在の鉄橋に架け替えられたのは1907年です。中国国内でありながら外国人が最初の橋を架け、外国人が中国人から通行料を徴収していた時代もあったという複雑な背景をもつ橋です。

この橋からは旧租界の歴史ある建物と浦東の近未来的な建物の両方を写真におさめることができます。

ということで、結婚写真の前撮りにきたカップルが列をなしております。

橋を北から南へ渡り終え、振り返ると特徴ある白い建物が見えました。ロシア領事館です。1917年に建てられ、一時閉鎖された時期もありましたが、現在もロシア領事館として活躍しています。この建物のちょうど北向こうがアスターハウスホテルです。領事館左側の茶色い大きなビルは、1934年竣工のブロードウェイマンション(上海大厦)です。もともと外国人用の高級マンションでしたが、現在はホテルとなっています。日本軍が接収していた時代もあるといいます。

橋を渡ると旧イギリス租界です。外白渡橋南詰めの右手(西側)に旧英国領事館の入口がありました。

緑に囲まれた非常に広い敷地をもつ領事館です。門を入って正面に見えるこの建物は1872年に建てられました。イギリスが上海に領事館をつくったのは1852年でしたが、初代領事館が焼失し、建て直したものがこの建物です。


現在はレストランなどが入っているようです。

同じ敷地の右手、蘇州河に近い方にもうひとつ古い建物があります。こちらは領事公邸です。1880年代に完成しました。現在はスイスの高級時計店が入っているそうです。


中山東一路をはさんで旧英国領事館の向かいは黄浦公園です。外国人用の公園として1886年に造られました。外白渡橋はこの公園とつながることからガーデンブリッジとも呼ばれます。

公園の奥、高台になったところに人民英雄紀念塔があります。

黄浦江と蘇州河が交わるところで、たいへん眺めのよい場所です。人でいっぱいです。

人民英雄紀念塔のそばにある階段を下りると、塔の真下に外灘歴史紀念館があります。階段を下りただけですが、いっきに人の気配がなくなります。

外灘の歴史をたどることのできる記念館で、たいへん興味深い写真や書類が展示されていました。建物のかたちに沿ってぐるっと一周して見学できるようになっています。入場無料です。

かなり古い時代のフランス租界の写真もありました。千歳丸が到着した頃はこのような感じだったのでしょうか。
しかし、館内の写真撮影は禁止ということに気づき、撮影はこれにて終了。

外灘の中山東路を南下します。
外灘33号の旧英国領事館からすぐ南、外灘27号に怡和洋行(ジャーディン・マセソン商会)の建物がありました。五代友厚と親密であったトーマス・グラバーは、長崎に来る前は上海のジャーディン・マセソン商会で働いていました。現在は雑居ビルになっているようです。



外灘24号は旧横浜正金銀行の建物です。横浜正金銀行は1880年に設立された日本の銀行で貿易金融を専門としていました。1893年に上海支店を開設しますが、この建物は1924年の竣工です。現在は中国工商銀行が入っています。


旧横浜正金銀行は、ブロードウェイマンションと同じパーマー&ターナー社の設計によるものですが、入口横にあるこの観音像のような彫像は日本らしさをあらわそうとしているのでしょうか。

さらに南へ行くと上海海関、つまり税関があります。外灘13号です。千歳丸で来た高須藩士の日比野輝寛が「新関」と呼んでいた江海関は1857年からここにありました。2代目が1893年に竣工し、現在の建物は1927年に建てられた3代目でです。

中に入ると海と船を描いた八角形の天井画がありました。現在も税関として使用されているので、見学できるのは入口付近だけです。


この建物に入っている関係各機関の名前が並んでいます。

上海海関の南隣りにひときわ巨大なビルがそびえています。旧滙豐銀行、香港上海銀行の建物です。香港上海銀行は1864年に設立された英系銀行で、植民地香港での荒稼ぎに加え、上海では江海関の関税の預託銀行として非常な利益を得ました。この外灘12号ビルは、現在上海浦東発展銀行が使用しています。


残念ながら、千歳丸が上海に来た当時の建物はまったく残っていませんでした。とはいえ、建て替えられただけで場所はそのままというところは結構ありますので、1860年代の上海に思いをはせることも多少はできたかと思います。
<住所>
上海市郵政公司、上海郵政博物館:上海市虹口区北蘇州路276号
四川路橋(裏白渡橋):上海市虹口区四川北路
新天安堂:上海市黄浦区南蘇州路107号
新天安堂教会公寓:上海市黄浦区南蘇州路79号
アスターハウスホテル(浦江飯店)【閉店 2017年12月31日】:上海市虹口区黄浦路15号
ロシア連邦共和国駐上海総領事館:上海市虹口区黄浦路20号
ブロードウェイマンションホテル(上海大厦):上海市虹口区北蘇州路20号
外白渡橋:上海市黄浦区中山東一路
旧英国領事館:上海市黄浦区中山東一路33号
黄浦公園:上海市黄浦区中山東一路500号
上海市人民英雄紀念塔:上海市黄浦区中山東一路500号
外灘歴史紀念館:上海市黄浦区中山東一路475号
旧怡和洋行(ジャーディン・マセソン商会):上海市黄浦区中山東一路27号
旧横浜正金銀行、現中国工商銀行:上海市黄浦区中山東一路24号
上海海関:上海市黄浦区中山東一路13号
旧滙豐銀行(香港上海銀行)、現上海浦東発展銀行:上海市黄浦区中山東一路12号