蘭館とは、オランダ領事館(Dutch Consulate)と點耶洋行(Kroes & Co.)が入った建物のことで、このときのオランダ領事はボルス(Bols)、副領事はテテオドール・クルース(Theodorus Kroes)であった。クルースは點耶洋行を営む貿易商でもあり、長崎のオランダ領事兼オランダ貿易会社代理人のアルベルト・ボードワァン(Albertus Bauduin)とは頻繁にやり取りをしていたようだ。新関とは江海関、つまり税関のことである。宿泊は宏記館と決まった。
医師尾本公同の従者で大村藩の天文方だった峰源蔵は、その『船中日録』及び『清国上海見聞録』に、オランダ商館はフランス租界の中にあって、老北門から東の永安街にあり、宏記館はオランダ商館隣りの洋館で川端にあったと書いている。また、この辺りは縦横に街路を割り、道幅が広く、比較的清潔で、在留外国人は1万5千人余りらしいとも言っている。
水夫として乗り込んだ五代は、宏記館ではなく千歳丸で寝起きしていたようだ。しかし、宏記館も決して居心地がよかったわけではないようで「部屋狭ク居所無キ故」、峰はしばしば千歳丸の五代を訪ね、そのまま千歳丸に泊まったりしている。また、五代と話し込む中で、五代が中国に来た目的は、君命により航路を探り、後日薩摩の産物を売って利潤を得ることで、2〜3年は損失が出ようとも「国家ノ事ヲ計ル両三年ノ損失ハ少シモ厭」と語っていたという。
Senzai-maru arrived at the port of Shanghai on 3rd June 1862. The Japanese officials stayed at a hotel near the Dutch Consulate located in the French Concession. Godai Tomoatsu, however, remained on the Senzai-maru.
<参考文献>
小島晋治監修『中国見聞録集成 第一巻』1997年
小島晋治監修『中国見聞録集成 第十一巻』1997年
Joshua A. Fogel, “Maiden Voyage: The Senzaimaru and the Creation of Modern Sino-Japanese Relations” 2014
A. ボードウァン著 フォス美弥子訳『オランダ領事の幕末維新』1987年