五代友厚 大阪天保山(足跡篇)
Godai Tomoatsu, Osaka Tenpozan (Footprints)

五代友厚が川口運上所にいた頃に開かれた松島と安治川口にある天保山を訪ねました。

I walked around Matsushima and Tenpozan area near the old port of Osaka.

大阪市営地下鉄阿波座駅から西の方角にある江之子島へ向かいます。
江之子島には、明治7年(1874年)に竣工した二代目大阪府庁がありました。

旧大阪府庁
旧大阪府庁 The Old Site of Osaka Prefectural Government
大阪府庁跡地
大阪府庁跡地 The Old Site of Osaka Prefectural Government

府庁舎の建物は残っておらず、現在は大阪府立 江之子島文化芸術創造センターになっています。

江之子島文化芸術創造センター
江之子島文化芸術創造センター Enokojima Art, Culture and Creative Center
江之子島文化芸術創造センター
江之子島文化芸術創造センター Enokojima Art, Culture and Creative Center

初代の府庁は旧西町奉行所にありましたが、渡辺昇知事のときに江之子島に移転しました。煉瓦造りにモルタルを塗った白亜の洋風建築ということですから、かなり目立ったはずです。街の中心から外れているので、今の感覚だとなぜわざわざここに府庁舎をもってきたのか不思議に思わなくもないですが、海外に目が向いていた当時としては、港や居留地のある川口周辺は時代の先端を行くエリアだったようです。

明治天皇が、明治10年2月15日に府庁に臨幸しています。天皇はその翌日に五代友厚の製藍所朝陽館も訪ねています。

明治天皇聖躅碑(旧大阪府庁)
明治天皇聖躅碑(旧大阪府庁) Monument of Royal Visit to the Osaka Prefectural Government

大阪府庁跡の北にある木津川橋を渡ると川口です。そのまま西へまっすぐ進んだつき当たりに安治川橋之碑があります。明治6年に新しく架け替えられた安治川橋は、橋桁が旋回する可動橋でした。「磁石橋」と呼ばれ大阪の名物となっていましたが、明治18年の洪水の際、上流から流れてきたいくつもの壊れた橋が安治川橋で堰き止められため洪水の恐れが生じ、やむなく爆破されたということです。

安治川橋
安治川橋 Ajigawa Bridge

木津川橋のたもとに戻り、木津川沿いをしばらく南下します。木津川

大渉橋です。

大渉橋
大渉橋

明治2年に江之子島と川口居留地南の本田を結ぶために架けられました。もともと大渡しと呼ばれる渡船があったため、大渉橋と名付けられたそうです。

おほわたりはし
おほわたりはし

大渉橋の次が松島橋です。

松島橋
松島橋 Matsushima Bridge

この橋も明治2年に架けられました。明治2年というのは松島遊郭ができた年です。

まつしまはし
松島橋 Matsushima Bridge

橋に描かれている意匠は松を模したものでしょうか。松島橋のすぐ北側が松カ鼻と呼ばれたところで、見事な松の古木があり、人々が船で遊覧に訪れたといいます。

松島橋親柱の側面
松島橋親柱の側面
木津川
木津川 Kizu River

松島橋西詰の公園を入ったところに旧橋の親柱が残されています。長谷川貞信の『浪花百景之内』によれば、初代松島橋は高い帆柱の舟も通過できるよう勾配の強い反橋になっていて、橋の向こうに大きな松の木と松鶴楼と思われる派手な遊郭の建物が描かれています。しかし、この橋も明治18年の洪水で流されてしまいました。

松島橋の碑
松島橋の碑 Monument of Matsushima Bridge
旧松島橋親柱
旧松島橋親柱 The Old Matsushima Bridge Post
松嶋大橋(浪花百景之内)
松嶋大橋(浪花百景之内) The Old Matsushima Bridge
松島橋の碑説明板
松島橋の碑 Monument of Matsushima Bridge

松島橋から松島少年広場を横切り、松島公園前のバス停に出ると、すぐそばに九条島と朝鮮通信使の碑があります。朝鮮通信使は、江戸時代に朝鮮から日本へ来ていた友好親善使節団で、釜山を出港し瀬戸内海を通ってこのあたりから上陸していたようです。

松島公園前
松島公園前バス停 Matsushima Park Bus Stop
松島公園と朝鮮通信使の碑
松島公園と朝鮮通信使の碑 Matsushima Park
九条島と朝鮮通信使の碑
九条島と朝鮮通信使の碑 Monument of Kujo Island and Korean Envoys

バス通りを道なりに北西に進むと、松島少年広場内の角に梅本橋顕彰碑があります。梅本橋は明治3年に尻無川に架けられた橋で、松島と梅本町を結んでいました。つまり、この顕彰碑の西側は川だったというわけです。梅本町は川口居留地に隣接した地域でした。松島への入口として、松島橋と梅本橋には大門が設けられたといいます。

梅本橋顕彰碑
梅本橋顕彰碑 Monument of Umemoto Bridge

今は埋め立てられた尻無川を渡った先にあったのが竹林寺です。

竹林寺
竹林寺 Chikurin Temple
竹林寺
竹林寺 Chikurin Temple
竹林寺と九条
竹林寺と九条 Chikurin Temple and Kujo

松島遊郭は花見の名所としても知られていました。第二次世界大戦の空襲で焼失し、現在一帯は松島公園になっています。

松島公園
松島公園 Matsushima Park

西区千代崎一丁目

木津川沿いをさらに南下すると千代崎橋があります。明治5年に架けられた千代崎橋は中央の桁が引込式の可動橋となっていてそろばん橋と呼ばれていました。舟運を考え工夫が凝らされた橋が、明治の初め頃に次々と架けられていたのです。しかし、この千代崎橋も明治18年の洪水で流されています。大阪の橋という橋が、この明治18年の洪水で流されてしまいました。

千代崎橋
千代崎橋(浪花八景之内) The Old Chiyozaki Bridge

地下鉄九条駅から大阪港駅へ向かいます。大阪港駅周辺がいわゆる天保山です。天保山

駅の南側にある赤煉瓦倉庫群。大正時代に建てられました。かすかに住友のマークが残っています。

天保山の赤煉瓦倉庫
天保山の赤煉瓦倉庫 Red Brick Warehouses in Tenpozan
天保山住友倉庫跡
天保山住友倉庫跡 Old Sumitomo Warehouses in Tenpozan

道なりに海に向かって歩くと大阪税関の建物が左手に見えます。

大阪税関
大阪税関 Osaka Customs

税関を通り過ぎ、咲洲トンネルの横の道を上がると明治天皇聖躅碑がありました。側面に築港事務所と書いてあります。明治天皇が明治36年5月に訪れたことを記念したものです。その2ヶ月後に大阪港の築港大桟橋が完成しました。

明治天皇聖躅碑(天保山)
明治天皇聖躅碑(天保山) Monument of Royal Visit to Tenpozan

明治天皇聖躅碑の先にダイヤモンドポイントという場所があります。「大阪港で夕陽が一番美しい場所」だそうです。

ダイヤモンドポイント
ダイヤモンドポイント Diamond Point

確かにすばらしい眺めです。埋立地の多い大阪湾では、なかなかお目にかかれない絶景ポイントかもしれません。

大阪湾
大阪湾 Osaka Bay

咲洲トンネルの反対側の道を下りていくと、天満屋ビルという昭和初期に建てられたレトロなビルがあります。

天満屋ビル
天満屋ビル Tenmaya Building

天満屋ビルの斜向かいに大阪港湾合同庁舎の建物があり、大阪税関が入っています。玄関は船の形を模しているのでしょうか。

大阪港湾合同庁舎
大阪港湾合同庁舎 Osaka National Government Building for Port Offices

大阪港湾合同庁舎プレート

大阪税関のPRルームで「大阪税関150周年記念特別展示〜大阪港の発展と大阪税関の歩み」を見学。「初代大阪税関長 五代友厚」の説明パネルや運上所規則、大久保利通から五代友厚宛ての手紙などが展示されていました。

大阪税関展示
大阪税関150周年記念特別展示 Osaka Customs Special Exhibition
初代税関長五代友厚
大阪税関150周年記念特別展示 Osaka Customs Special Exhibition

明治時代の税関職員の制服?キャプテン・クック?

税関職員のマネキン
大阪税関150周年記念特別展示 Osaka Customs Special Exhibition

税関を出て天保山ハーバービレッジに向かいます。途中「祝 大阪港開港150年」の旗がたくさんはためいていました。

祝大阪港開港150年
祝大阪港開港150年

ジンベイザメで有名な水族館「海遊館」を過ぎると、その奥に観光船サンタマリアの乗り場があります。

海遊館
海遊館 Osaka Aquarium Kaiyukan

サンタマリア号に乗り込みます。外国人にも人気のようです。約45分のクルーズで、1時間おきに運行しています。

サンタマリア号
サンタマリア号 Santa Maria
サンタマリア号の入口
サンタマリア号の入口 Enrance of The Santa Maria
サンタマリア号
サンタマリア号 The Santa Maria

「サンタマリア号」ということで、船内にはコロンブスや大航海時代に関する展示もありました。サンタマリア号プレート

サンタマリア号内部
サンタマリア号内部 Inside of The Santa Maria

大阪湾から市中に入る雰囲気を味わいたかったのですが、十分満足できました。大型化した船を受け入れるには、港として神戸に及ばなかったこともわかるような気がします。

大阪湾
大阪湾 Osaka Bay
安治川口
安治川口 Aji River
天保山付近から見た大阪
天保山付近から見た大阪 Osaka City View from Tenpozan

最後にハーバービレッジの東側にある天保山公園に行きました。天保山跡の碑があります。この公園の海に面したところに明治天皇観艦之所碑があるそうですが、この日は疲れて見に行けませんでした。観艦之所とは、慶応4年(1868年)に明治天皇が軍艦を親閲した場所ということです。

天保山跡
天保山跡碑 Monument of Tenpozan Old Site
天保山跡碑の側面
天保山跡碑の側面 Monument of Tenpozan Old Site

<住所>
旧大阪府庁跡、明治天皇聖躅碑:大阪市西区江之子島2丁目1番34号(大阪府立江之子島文化芸術創造センター)
安治川橋之碑:大阪市西区川口2丁目4
大渉橋:大阪市西区本田1丁目1
松島橋:大阪市西区本田1丁目4
旧松島橋の親柱:大阪市西区本田1丁目4(松島橋西詰、松島少年広場内)
九条島と朝鮮通信使の碑:大阪市西区千代崎1丁目1(松島少年広場内)
梅本橋顕彰碑:大阪市西区千代崎1丁目1(松島少年広場内)
竹林寺:大阪市西区本田1丁目9番3号
千代崎橋:大阪市西区千代崎2丁目1
天保山赤煉瓦倉庫:大阪市港区海岸通2丁目5〜6
明治天皇聖躅碑(築港事務所):大阪市港区海岸通1丁目5
ダイヤモンドポイント:大阪市港区海岸通1丁目5
天満屋ビル:大阪市港区海岸通1丁目5番28号
大阪港湾合同庁舎(大阪税関):大阪市港区築港4丁目10番3号
観光船サンタマリア:大阪市港区海岸通1丁目1番10号
天保山跡、明治天皇観艦之所碑:大阪市港区築港3丁目2(天保山公園内)

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五代友厚 大阪天保山(2)
Godai Tomoatsu, Osaka Tenpozan (2)

二代目大阪府庁舍
二代目大阪府庁舍 Osaka Prefectural Government Buildign in Enokojima

川口運上所が置かれていた川口には、入港してくる船を管理・掌握する船手会所という幕府の役所が江戸時代よりあったが、天保山に台場ができた元治元年(1864年)に廃止されている。川口周辺の安治川や木津川沿いには造船、船具屋、船宿、廻船問屋などが多く並んでいて、長崎の英商トーマス・グラバー(Thomas Glover)が長年連れ添ったツルも寺島で造船業を営む淡路屋安兵衛の娘であったという。グラバーにツルを紹介したのは五代友厚だったと言われている。

寺島の北端には樹齢300年といわれる松の大木があり、ここを松カ鼻と呼んだ。明治2年(1869年)に松カ鼻の少し南に松島遊郭がつくられる。松島の名は松カ鼻の松と寺島の島をあわせたものという。大阪の開市・開港に向け、他の開港地と同じく風紀取り締まりのため居留地近くに遊郭を設けることは江戸時代末期から計画されていたが、実際に建設が始まったのは明治元年で、運上所の役人が任命されてその掛りとなった。竣工前に五代は退官しているが、松島遊郭は明治5年まで外国事務局の管掌下にあった。

松島遊郭の設置は対外国人政策が直接の動機ではあったが、大阪西部の開発とその発展も目論んでいたため、もともと渡しの舟しかなかった小島に松島橋、大渉橋、梅本橋、千代崎橋といった橋が次々と架けられていった。寺島の北側は江之子島で、江之子島と川口は木津川橋で結ばれていた。江之子島には明治7年に二代目大阪府庁舎が造られ、煉瓦造り二階建ての白亜の西洋建築は人の目を引き、「江之子島政府」と呼ばれて名所となった。

While Godai Tomoatsu was the head of the Osaka Kawaguchi Unjosho (Custom House) at the early Meiji era, he conducted the development of the port of Osaka and the surrounding area.

<参考文献>
大阪市ホームページ 市政 橋の紹介 http://www.city.osaka.lg.jp/shisei/category/3054-1-2-9-2-2-0-0-0-0.html
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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五代友厚 大阪天保山(1)
Godai Tomoatsu, Osaka Tenpozan (1)

摂洲阿治川口天保山
摂洲阿治川口天保山(葛飾北斎) Sesshu Ajigawa-guchi Tenpozan, Katsushika Hokusai

慶応4年7月15日(1868年9月1日)、兵庫に次いで大阪もいよいよ開港となり、五代友厚は外国官権判事として川口運上所を取り仕切った。大阪港のある安治川口は、淀川から流れ込む土砂で砂州ができやすく、大型の外国船にとって入港は常に危険がともなうものであった。五代は外国貿易発展のため港の改良は不可避であるとし、毎日3,000人の人夫を使って砂を浚い新たな碇泊所を造った。

安治川口はもとより大阪湾から市中に遡るための重要な航路で、開港以前から度々浚渫工事が行われていた。特に天保2年(1831年)の御救大浚は大がかりなもので、その際に出た大量の土砂を河口に積み上げてできた人工山が天保山である。当時の天保山は高さが20メートルほどもあって眺めがよく、桜や松が植えられ茶屋もできて物見遊山の人々で賑わった。しかし、外国船の出現により防備の必要に迫られ、元治元年(1864年)に台場が築造されると景観が一変した。

五代が大阪在勤となって間もない慶応4年3月26日(1868年4月18日)、大阪行幸中の明治天皇が天保山を訪れ、天保山沖に碇泊する各藩の軍艦及び仏艦デュプレックス号(La Dupleix)を親閲している。このときデュプレックス号が祝砲を放ったが、艦長アベル・デュ・プティ=トゥアール(Abel du Petit-Thouars)の日記によれば、前日に五代と会って礼砲のことを取り決めていたという。翌27日には日本側要人10名ほどがデュプレックス号の見学に訪れ、五代も同行している。

明治天皇は明治5年にも巡幸で大阪を訪れているが、その際は天保山沖に着艦、艀艇に乗り換え川口運上所波止場から上陸している。

The Emperor Meiji viewed the Japanese warships and the French corvette Dupleix from Mt. Tenpozan, Osaka in 1868. On the day before, Godai Tomoatsu met the captain Abel du Petit-Thouars to talk about a salute for this Imperial inspection.

<参考文献>
アベル・デュプティ=トゥアール著 森本英夫訳『フランス艦長の見た堺事件』1993年
市立大阪市民博物館編『明治天皇大阪行幸誌』1921年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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