長崎でいろは丸事件の足跡を訪ねました。
I visited the places in Nagasaki related to the Iroha-maru Incident occurred in 1867.
路面電車の西浜町停留所で降ります。中央橋のすぐ近くで、長崎で最もにぎやかで交通量の多い場所です。

停留所の東側、銅座町に入ると三菱UFJ信託銀行があります。かつて薩摩藩の蔵屋敷がここにありました。五代友厚は、20代のほとんどを長崎で過ごしましたから、ここには何度も出入りしていたでしょう。

薩摩藩蔵屋敷跡のすぐそばにかかる古い橋。

中島川沿いに戻ります。西浜町停留所は2ヶ所ありますが、アーケード前の方の停留所そばに土佐商会跡の碑があります。土佐商会の正式名称は土佐藩開成館貨殖局長崎出張所で、いろは丸事件の頃は、後藤象二郎、次いで岩崎弥太郎が主任をつとめていました。

さらに川沿いをのぼっていきます。中島川は江戸時代には大川と呼ばれていたそうです。江戸時代からの石橋がたくさん残っています。

有名な眼鏡橋です。寛永11年(1634年)に架けられたといいます。

さらに上流に向かうと、新大工町停留所近くに上野撮影局跡がありました。幕末・明治に活躍した写真家上野彦馬の写真館で、坂本龍馬がブーツを履いた立ち姿の写真はここで撮影されたといいます。

川沿いの気持ち良い景色を眺めながらいくつもの鳥居をくぐります。かなりの坂道です。

到着しました。若宮稲荷神社です。山間のこじんまりとした神社です。

亀山社中や藤屋という料亭に近いこともあり、坂本龍馬もたびたび訪れたといいます。


若宮稲荷神社近くで見かけた猫。長崎に猫が多いというのは本当です。
若宮稲荷神社のすぐそばにある亀山社中資料展示場です。ここは西洋料理店の先駆け、良林亭があった場所でもあります。

良林亭は、五代友厚の勧めで草野丈吉が開業したと言われています。良林亭は後に自由亭となり、大阪の川口や中之島にも出店し、五代らがよく利用していました。長崎の自由亭の建物は、グラバー園に移築・保存されています。

このあたりは伊良林といいます。草野丈吉の店もあったので、五代友厚も付近を訪れていたのでしょう。

龍馬のぶーつ像と呼ばれる撮影スポットは、眼下に長崎の街が見渡せるたいへん眺めのいい場所です。

坂本龍馬が、薩摩藩や長崎商人小曽根乾堂の援助を受けて結成した亀山社中の跡です。長崎市亀山社中記念館になっていて、ゆかりの品が展示されています。幕末の長崎についても、いろいろ教えていただきました。

伊良林を出て、長崎奉行所立山役所跡を通り過ぎ、聖福寺に向かいます。
聖福寺の山門です。慶応3年にこの寺でいろは丸事件の談判が行われました。五代友厚はこの事件の仲介役となり、土州と紀州のあいだをとり持ちました。

聖福寺は延宝5年(1677年)に開創された寺で、建造物のうち4棟もが国の重要文化財に指定されています。立派な寺ですが、訪れる人はまばらで静かに参拝できます。時が止まったかのような、長崎の唐寺の中でも特に雰囲気のあるすばらしい寺です。
この六角形の小さな建造物は、惜字亭といって、経文をはじめ寺内の不要文書類を焼却するための炉だそうです。書かれた文字を惜しむとは、なんとゆかしい呼び名でしょう。漆喰の奥に赤煉瓦が見えます。この煉瓦は小菅修船場で使われたのと同じこんにゃく煉瓦です。

聖福寺の大雄宝殿。元禄10年(1697年)建築で、中国僧の隠元禅師が開創した黄檗宗の特徴を有した建築様式だそうです。黄檗宗といえば、京都宇治の萬福寺も有名です。

驚くような瓦塀があります。聖福寺の末寺が廃寺になった際、その寺々の瓦を集めてつくったそうです。一種異様な雰囲気で迫力があります。

長崎のお墓は文字が金色です。

そして、線香は赤いです。
長崎の墓地は全体的に明るくて、常に身近にある感じです。

聖福寺には、七代目市川海老蔵と八代目市川團十郎が建てたという供養塔もありました。


<住所>
薩摩藩蔵屋敷跡:長崎市銅座町7-36(三菱UFJ信託銀行長崎支店)
土佐商会跡:長崎市浜町2
眼鏡橋:長崎市魚の町
上野撮影局跡:長崎市伊勢町4-14
若宮稲荷神社:長崎市伊良林2-10-2
良林亭跡:長崎市伊良林2-9-2(亀山社中資料展示場)
龍馬のぶーつ像:長崎市伊良林2-5-11
長崎市亀山社中記念館:長崎市伊良林2-7-24
聖福寺:長崎市玉園町3-77