薩摩藩の小松帯刀と五代友厚が計画し、グラバーが出資者となって完成した小菅修船場と、その所有者である三菱重工の長崎造船所史料館に行ってきました。
I visited the old site of Kosuge Ship Repair Dock and the Mitsubishi Heavy Industries’ Nagasaki Shipyard Museum.
長崎バスの小菅町で降ります。バス停のすぐそばに小菅修船場跡とマリンセンター小菅、小菅倉庫の3種類の看板が並ぶ入口があります。

ぐるっと湾曲した坂道を下りると小菅修船場跡です。この場所の地形に修船場の施設がぴたりと収まっている印象です。


石碑には国指定史跡とあります。2015年に指定された世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のひとつにもなっています。

蒸気機関が設置されている建物の壁面です。こんにゃく煉瓦という明治維新前後の一時期に生産された長崎特有の煉瓦を使っています。薄く扁平でまさしくこんにゃくのような形をした煉瓦です。オランダのハルデスが作り方を指導したことからハルデス煉瓦とも呼ばれるそうです。左には引揚げ用の装置が見えます。

引き揚げ装置です。大型船を海から引っぱり上げるだけあって巨大です。


このレールの上を走る船架に船をのせて引き上げました。創建時のレールとその後に敷設された2種類のレールが混在しているそうです。海水に浸っているので貝殻や藻が付着したところもあります。

海側から機械小屋を見たところ。明治元年に初めて船が引き揚げられたときの人々の興奮した様子が想像できる気がします。すばらしい場所なのに、ほかに見学者が誰もいないのがうれしいような寂しいような。

機械小屋の両側面にこんにゃく煉瓦が見えます。この機械小屋は日本最古の赤煉瓦建造物と言われています。昔の写真を見るとこの小屋に大きな煙突がついていたのがわかります。

機械小屋の中のボイラー。このボイラーは明治34年に取り替えられたものだそうです。周囲の煉瓦もこんにゃく煉瓦ではなく厚みのある新しいものです。写真にはありませんが、小屋の中には大小の歯車も設置されていて、それらは最初に据え付けられたそのままのものが残っています。機械類はグラバーが故郷のスコットランドから輸入しました。

修船場の北側に倉庫、南側にマリンセンターがあります。マリンセンターではヨットなどを修理しているようです。

石積みも古そうです。

小菅修船場は、明治2年に政府に買い上げられ、明治20年に三菱へ払い下げられました。そして、昭和28年にドックとしての機能を停止しました。

明治5年に天皇が訪れ、咸臨丸の修船状況をご覧になったということです。

次に、三菱重工の長崎造船所史料館に向かいます。完全予約制のため事前に電話予約をしました。史料館は工場内にあり勝手に出入りできないので、見学用の専用シャトルバスに乗っていきます。
シャトルバスの発着場は長崎駅前です。見学時間によって乗車するバスの時間も決まっているので、指定された時間のバスに乗ります。

バスで解説を聞きながら長崎造船所史料館へ。車窓から見える工場群も興味深いです。ひとつの船を造るにはこれだけの人と設備が動いて何年もかかるわけで、完成したときの感慨はどれほど深いものかと。
バスは史料館の入口をふさぐように真正面に停まります。

史料館に入ってすぐのところに展示されている日本最古の工作機械。長崎製鉄所建設のためオランダから輸入した竪削盤です。この先史料館の方の解説を聞きながら見学してもいいですし、個人で見て回っても構いません。

今回は、明治時代のコーナーを主に見学しました。
長崎奉行所西役所の図面があります。西役所は、五代友厚が学んでいた長崎海軍伝習所が置かれていたところです。海軍伝習所総督の永井尚志の強い意志で長崎製鉄所の創設が実現しました。

こんにゃく煉瓦も展示されています。

建設途中の長崎製鉄所の写真です。長崎製鉄所は、安政4年(1857年)に着工し、文久元年(1861年)に完成しました。

小菅修船場の模型がありました。ソロバン・ドックと呼ばれていた意味がわかるような気がします。

明治17年の小菅修船場の図面。施設の配置などがわかります。

明治3年の長崎製鉄所職員の名簿。製鉄所頭取役として本木昌造の名が見えます。

明治14年から16年にかけての小菅修船場の明細表です。船名、揚降月日、トン数、利用料などが書かれています。金額はすべて弗(ドル)・セントになっています。

明治20年に長崎造船所が三菱に払い下げられたときの御払下願と御払下命令書です。三菱創業者の岩崎弥太郎はすでに亡くなっていたので、三菱社々長は弟の岩崎弥之助となっています。


この史料館に使われている赤煉瓦の建物は、明治31年に造船所の木型場として建設されたもので、小菅修船場と同じく世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成施設のひとつになっています。

「我が国初」の機械類がたくさんあるほか、岩崎家や戦艦武蔵のコーナーにも数多くの資料が展示されています。


屋外にも大型機械が置かれています。周囲に赤煉瓦塀が残っていました。

史料館での見学が終了すると、専用バスでまた長崎駅まで戻ります。
<住所>
小菅修船場跡:長崎市小菅町5
三菱重工 長崎造船所史料館:長崎県長崎市飽の浦町1-1