五代友厚 造幣寮創業(2)
Godai Tomoatsu, Foundation of the Imperial Mint (2)

造幣寮創業式
造幣寮創業式 The Opening Ceremony of the Imperial Mint

貨幣司は、明治2年(1869年)に造幣局となり、その後大蔵省造幣寮となった。五代友厚の横浜赴任が決まった際、大阪在勤となった井上馨が、造幣頭(ぞうへいのかみ)として造幣工場の建設にあたっていたが、火災や資材輸送船の沈没などに見舞われ、完成まで2年を要した。

明治4年2月15日(1871年4月4日)、創業式が挙行され、右大臣三条実美、参議大隈重信ら約100名が列席。祝砲が鳴り轟き、花火が上がり、一般開放も行われお祭り騒ぎが続いたという。すでに官を離れていた五代が、この式典に参列したという記録はない。総工費は約96万両、当時の政府税収1年分の約30%に相当する大事業であった。

当時の造幣事業は、英国オリエンタル・バンク(The Oriental Bank)との条約下にあり、機械設備の買い入れや外国人技術者の雇い入れ等あらゆる面でオリエンタル・バンクの介入があった。造幣首長トーマス・キンドル(Thomas William Kinder)もオリエンタル・バンクが雇用したもので、高給取りのキンドル、三井と結びつきの強かった井上馨は、それぞれ金ドル・銀ドルと渾名されていたという。

オリエンタル・バンクが川口居留地に支店を開設したこともあり、堂島新船町と造幣寮の間に馬車鉄道、川口と造幣寮の間に電信が設けられ、オリエンタル・バンクから神戸に貨幣・地金を運ぶための蒸気船「運貨丸」も購入された。造幣寮は、最先端技術の発信拠点となっていた。

Spending two years, the construction of the Imperial Mint was completed and the opening ceremony was held on 4th April 1871.  Godai Tomoatsu’s name was not on the list of this ceremony.  The Oriental Bank was playing an important role on this project.

<参考文献>
造幣局のあゆみ編集委員会「造幣局のあゆみ 改訂版」2010年
立脇和夫「大阪造幣局の建設とオリエンタル・バンク」『東南アジア研究年報 28』1986

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