五代友厚 川口居留地(2)
Godai Tomoatsu, Kawaguchi Foreign Settlement (2)

大阪外国人居留地之図
大阪外国人居留地之図 The Plan of Osaka Foreign Settlement(阪府外国事務日誌第一号)

川口には、日本人住家での止宿が許されていなかった外国人が一時滞在する施設がなく、また、ときに西洋料理で饗応する必要性も出てきたため、明治2年(1987年)に外国人止宿所の設置が決まり、長崎で西洋料理店を経営していた草野丈吉が司長として任用された。草野丈吉は、長崎時代より五代友厚や当時大阪府知事であった土佐藩の後藤象二郎と昵懇であったと伝えられ、彼らが草野に止宿所の運営を依頼、後押ししたのは間違いないだろう。

草野丈吉は、止宿所を引き受けてしばらく後に、居留地に隣接する雑居地梅本町で西洋式ホテル「自由亭」を開業する。自由亭は、国内外からの賓客の接待に重宝され、大いに繁盛した。草野丈吉は、長崎でも同名の西洋料理店を続けており、また明治10年(1877年)には京都、明治14年(1881年)には大阪中之島にも進出し、大阪商法会議所の新年会もここで開かれていたという。明治19年(1886年)に丈吉が亡くなった後は、娘の草野錦が経営を引き継いだ。

五代の在官中、仏国モンブランから電信の架設、米国領事より鉄道の敷設について願出があったが、五代は「我政府に於て」行うとしてこれらを拒絶する旨回答している。並行して、長崎の小菅修船場の売却や軍艦の買い入れ、造幣寮の機械購入などにも携わっていた。五代は、藩から召し出され政府に登用された徴士であり、明治政府の仕事をしながら、藩士として藩にも仕えなければならない立場にあった。種々力を尽くしたが、新政府と藩の板ばさみになり辛い状況となることもあったに違いない。

Godai Tomoatsu assisted Kusano Jokichi in opening a western-style hotel in Kawaguchi Foreign Settlement.  In addition to diplomacy, Godai was involved in various issues of both the Meiji government and Satsuma Domain.

<参考文献>
大阪市港湾局『大阪港史第一巻』1959年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
堀田暁生・西口忠編『大阪川口居留地の研究』1995年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

  Like