五代友厚 大阪薩摩藩屋敷(足跡篇)
Godai Tomoatsu, Osaka Kurayashiki (Footprints)

薩摩藩の大阪屋敷跡を訪ねました。上屋敷、中屋敷、下屋敷すべて大阪市西区にあります。

I visited the places where there were the Kurayashiki warehouses of Satsuma Domain in the Edo period. Three of them are all in Nishi-ku, Osaka.

中之島の南西、土佐堀橋南詰の土佐堀通沿いにある三井倉庫のあたりが薩摩藩上屋敷跡です。慶応4年(1868年)正月、鳥羽伏見の戦いでこの屋敷は自ら火を放ち焼失しましたが、その後も島津家が領有し国産物の委託販売などを行っており、これに五代友厚が関わっていた時期もありました。

薩摩藩上屋敷跡(三井倉庫)
三井倉庫 Mitsui Warehouse
薩摩藩上屋敷跡の碑
薩摩藩上屋敷跡 The Monument of the former first premises of Satsuma Domain

「薩摩藩蔵屋敷跡」の石碑は倉庫の南東角にありますが、土佐堀橋を渡ってすぐの倉庫西側面には、見落としてしまいそうなほどひっそりと「大阪上等裁判所跡」の説明板と「明治天皇聖躅碑」がたっています。

薩摩藩上屋敷跡、大阪上等裁判所跡(三井倉庫)
薩摩藩上屋敷跡、大阪上等裁判所跡(三井倉庫) The former first premises of Satsuma Domain, later the Osaka High Court (Mitsui Warehouse)
大阪上等裁判所跡
大阪上等裁判所跡 The former Osaka High Court

この場所は、明治9年(1876年)に大阪上等(控訴)裁判所となりました。明治天皇は、京都・神戸間の鉄道開業式にともない明治10年(1877年)2月に京都、大阪、堺を行幸され、その際大阪上等裁判所も訪れたのです。その翌日2月16日には、五代友厚の製藍所朝陽館も臨幸されています。

明治天皇聖躅碑(大阪上等裁判所跡)
明治天皇聖躅碑(大阪上等裁判所跡) The monument of the Royal Visit (The former Osaka High Court)

薩摩藩の中屋敷は、上屋敷南西すぐの江戸堀にありました。現在はやまぐちという料亭になっています。

薩摩藩中屋敷跡の碑
薩摩藩中屋敷跡の碑 The Monument of the former second premises of Satsuma Domain
薩摩藩中屋敷跡(料亭やまぐち)
薩摩藩中屋敷跡(料亭やまぐち) The former second premises of Satsuma Domain (Japanese restaurant Yamaguchi)

さらに南へ15分ほど行った立売堀に島津公園があります。薩摩藩の下屋敷はこの公園の南側にあったといいます。江戸・明治期には、近くを薩摩堀川が流れ、その上に薩摩橋がかかっていました。

島津公園
島津公園 Shimazu Park
島津公園
島津公園 Shimazu Park

薩摩藩下屋敷近くの薩摩堀を開削したのは薩摩屋仁兵衛や鍋屋宗円など薩摩の物産を扱う問屋でした。この周辺には、薩摩問屋が何軒もありましたが、今は薩摩堀公園の中に「薩摩堀川跡」という石碑が残るのみです。

薩摩堀公園
薩摩堀公園 Satsuma-bori Park
薩摩堀川跡の碑
薩摩堀川跡の碑 The monument of Satsuma-bori canal

幕末に船で薩摩、長崎、大阪を往復していた五代友厚も、薩摩藩屋敷や薩摩問屋が並ぶこの辺りには何度も足を運んだことでしょう。

<住所>
薩摩藩上屋敷跡、現三井倉庫:大阪市西区土佐堀2丁目4-9
薩摩藩中屋敷、現料亭やまぐち:大阪市西区江戸堀3丁目6-49
薩摩藩下屋敷、現島津公園:大阪市西区立売堀5丁目4
薩摩堀公園:大阪市西区立売堀4丁目2

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五代友厚 大阪薩摩藩屋敷(2)
Godai Tomoatsu, Osaka Kurayashiki (2)

幕末の大阪薩摩藩屋敷
幕末の大阪薩摩藩屋敷 The premises of Satsuma Domain in Osaka

五代友厚が、藩際貿易に従事し西日本各地をまわっていた頃、商業の中心大阪には各藩の蔵屋敷が並んでいた。薩摩藩は、土佐堀沿いの上屋敷をはじめとして、その南西に中屋敷、さらに南の立売堀に下屋敷を持っていた。また、その周辺には薩摩領国物産を取り扱う薩摩問屋が数多く集まり、砂糖や蝋、煙草、鰹節などのほか琉球産品や琉球を経由する唐物などが運びこまれていたという。

五代が大阪在勤となったのは、慶応4年1月23日(1868年2月16日)に徴士参与職・外国事務局判事に任ぜられてからであるが、以前より御船奉行副役(おふねぶぎょうそえやく)、御納戸奉行(おなんどぶぎょう)格の御用人外国掛として、大阪には頻繁に訪れていたとみられる。明治2年7月4日(1869年8月11日)の退官後、五代はさっそく大阪に金銀分析所を設立したり、印刷・出版事業に関わるなど大阪を拠点に活躍し始めた。

しかし、下野後も身分は依然鹿児島藩士のままであり、わずかながらも藩から俸給が支給されていた。明治3年(1870年)に鹿児島藩は大阪にほど近い堺に紡績所を建設したが、五代はそのとき藩より堺紡績掛を命じられている。また、廃藩置県後、上屋敷の跡地に島津家の出資による国産物の委託販売店の支店が置かれ、五代は自ら申し出て国産会社大阪出張掛に任ぜられた。短期間ではあるが、黒砂糖を主とする鹿児島県の物産の大阪取引をこの間一手に引き受けていたことなる。五代は欧州視察中に紡績機械や砂糖製造機を購入しており、その関係もあったであろう。

Godai Tomoatsu frequently went to and returned from Kagoshima, Nagasaki and Osaka while he worked for the Shimazu Clan of Satsuma Domain. He was ordered to be a government officeholder in 1868 and moved to Osaka, but quit next year. He started his own business in Osaka.  At the same time, he also undertook businesses of Satsuma Domain as he was still a member of feudal retainers of Satsuma.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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五代友厚 大阪薩摩藩屋敷(1)
Godai Tomoatsu, Osaka Kurayashiki (1)

1864年の大阪
1864年の大阪 Osaka, 1864 (Illustrated London News, 13 August 1864)

五代友厚は安政元年(1854年)、数えで二十歳のときに、薩摩藩の郡方書役(こおりかたかきやく)に出仕した。安政4年(1857年)2月からは、藩命により長崎に留学し、海軍伝習所で西洋式の航海、砲術、測量、数学などを学んだ。翌年、藩主島津斉彬の死去にともない一時薩摩に帰るも、安政6年(1859年)5月より再び藩命により長崎に遊学。

文久2年(1862年)1月より長崎にて薩摩藩の御船奉行副役(おふねぶぎょうそえやく)となる。この職にある間、2度にわたり上海に渡航した。文久3年(1863年)の薩英戦争の際、乗船していた天祐丸(てんゆうまる)が拿捕され、捕虜となり、釈放された後しばらく武州熊谷および長崎で潜伏生活を送っていた。潜伏中グラバー邸などに出入りするうち世界情勢を知るに至り、海外留学派遣に関する上申書を藩に提出したことをきっかけに、慶応元年(1865年)3月より欧州に渡航することとなった。

およそ1年後に帰国した五代は、長崎在勤の御納戸奉行(おなんどぶぎょう)格の御用人外国掛となり、パリ万国博覧会や欧州でモンブランと交わした商社計画などの実現に務める一方、薩摩藩の輸送船開聞丸(かいもんまる)に乗りこんで藩際貿易に携わり、薩摩、長崎、馬関、兵庫、大阪など各地を行き来していた。米や薩摩の特産品である砂糖のほか、欧州で購入してきた武器や弾薬を他藩に売りこみ薩摩藩の利益を図った。

Godai Tomoatsu started his career at his age 18 in Kagoshima. Three years later, he moved to Nagasaki to study western style science and technology at the Nagasaki Naval Training Centre. From then on, basing himself in Nagasaki, he worked for the Shimazu Clan as a feudal retainer of Satsuma Domain. He also went on an inspection tour to Europe in 1865 under the orders of Shimazu Clan.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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