五代友厚 伊呂波丸事件(1)
Godai Tomoatsu, Iroha-maru Incident (1)

伊呂波丸
伊呂波丸 Iroha-maru

慶応3年4月23日(1867年5月26日)、坂本龍馬率いる海援隊が大洲藩から借り受けていた伊呂波丸と、紀伊藩勘定奉行茂田一次郎らを乗せ長崎に向かう途中の明光丸が、瀬戸内海備後灘の六島付近で衝突し、伊呂波丸が沈没する事故があった。

伊呂波丸は、もともとイギリスで建造されたサラ(The Sarah)という蒸気船を薩英戦争直後の薩摩藩がトーマス・グラバー(Thomas Glover)から7万5000ドルで購入し、安行丸と名付けて使っていたものである。薩摩藩はわずか3年で安行丸を手放したが、その後、慶応3年に大洲藩の所有となり伊呂波丸と命名された。

大洲藩は、伊呂波丸を五代友厚の斡旋でボードウィン(Albertus Johannes Bauduin)から購入したというのが通説であったが、見つかった売買契約書によれば、ポルトガル領事ジョゼ・ダ・シルヴァ・ロウレイロ(José da Silva Loureiro)から4万メキシコ・パタカで購入したようである。

一方、明光丸はイギリスで建造され、アメリカ南北戦争で使われていたバハマ(The Bahama)という船を、紀伊藩が元治元年(1864年)にグラバーより購入したものである。

衝突後、双方の乗組員は鞆の浦に上陸し議論したが埒が明かず、折衝の場を長崎に移すことにした。5月半ばより談判が始まり、5月22日には土州側から後藤象二郎、紀州側から茂田一次郎が出て聖福寺で話し合う。岩崎弥太郎日記によれば、この日、岩崎は後藤象二郎、坂本龍馬らと英商ウィリアム・オルト(William Alt)を訪ね盃を交わしたという。後藤はオルトに18万両の借金があったというから、一部返済の見込みが立ったということか。

The Iroha-maru collided with the Meiko-maru of Kishu-han and sank in the Seto Inland Sea in 26th May 1867. The Iroha-maru was a charter ship that Sakamoto Ryoma and his Kaientai borrowed from Ozu-han. The Ozu-han had purchased the steamship from Thomas Glover in 1867.

<参考文献>
鈴木邦裕『いろは丸事件と竜馬』2010年
宮本又次『五代友厚伝』1980年
Alexander McKay, ”Scottish Samurai: Thomas Blake Glover, 1838-1911”, 1997
Peter Ennals, ”Opening a Window to the West: The Foreign Concession at Kobe, Japan, 1868-1899”, 2013

  Like