
五代友厚の書簡にはカタカナ名がよく登場するが、最も頻繁に現れるのがゴロウル、ガラバ、つまり貿易商として名を馳せたトーマス・グラバー(Thomas Glover)であろう。グラバーは幕末志士の活動にも思いをよせ、薩長土と特に密接な関係を築き、五代はじめ小松帯刀、伊藤博文、井上馨らがグラバーのもとに出入りしていた。
グラバーは、1838年にスコットランドのアバディーンシャー(Aberdeenshire)で8人きょうだいの五男として生まれた。五代友厚とほぼ同年代である。グラバー家の三男ジェームズ(James)、六男アレキサンダー(Alexander)、七男アルフレッド(Alfred)、そして妹のマーサ(Martha)も後に来日している。
グラバー自身は安政6年(1859年)の長崎開港と同時に来日し、ジャーディン・マセソン商会(Jardine, Matheson & Co.)の代理人であったケネス・マッケンジー(Kenneth Mackenzie)のもとで働き始めた。マッケンジーの離日を機にジャーディン・マセソン商会の長崎における代理店業務を引き継ぎ、ほどなくフランシス・グルーム(Fransis Groom)とパートナーシップを組んでグラバー商会(Glover & Co.)を設立する。
初期のグラバー商会は、長崎と横浜の銀相場の違いや内外の金銀比価の差を利用して産を成した。また、幕末の長崎は茶の輸出が盛んで、グラバーも東山手居留地などに大規模な茶の再製場をつくり、一時は日本人1,000人以上を雇用していたという。五代友厚の書簡によく名前が上がるヲールト、つまり英商人ウィリアム・オルト(William Alt)は長崎の茶商大浦慶と組んで茶の輸出で成功した人物であった。
Thomas Glover, a Scottish merchant, came to Nagasaki in 1859. He establilshed Glover & Co. and became Jardine, Matheson’s commercial agent in Nagasaki. He formed strong links with the Samurai clans Satsuma, Choshu and Tosa. Godai Tomoatsu was acquainted with Glover in Nagasaki.
<参考文献>
杉山伸也『明治維新とイギリス商人 −トマス・グラバーの生涯−』1993年
宮本又次『五代友厚伝』1980年