長崎海軍伝習所ゆかりの場所を訪ねて、長崎港付近を歩きました。
I walked around the port of Nagasaki to see the traces of Nagasaki Naval Training Centre where Godai Tomoatsu studied western style science and technology from 1857 to 1858.
長崎市江戸町の長崎県庁です。

海軍伝習所は長崎奉行所の西役所に設けられたので、その跡でもあります。奉行所になる前はイエズス会本部がありました。長崎で一番大きな教会でしたが、慶長19年(1614年)のキリシタン禁教令により破壊されました。
県庁前の交差点付近に海軍伝習所などの説明板と復元された明治時代の黒いポストがあります。残念ながら奉行所西役所跡の県庁は近く移転予定とのことです。

海軍伝習所跡から県庁坂と呼ばれる坂道を下って海側へ少し歩くと、旧長崎警察署の前に南蛮船来航の波止場跡の碑があります。

現在の港は、埋め立てが行われてもっと先ですが、昔はこのあたりが海岸線であったことがわかります。
港に向かう途中、大波止の電停前に文明堂総本店がありました。明治33年創業だそうです。

長崎港です。16世紀からオランダや中国との交易で栄え、鎖国時代は日本で唯一海外へ門戸を開いていた港です。

海軍伝習所の練習船であった観光丸が復元され停泊しています。マストは3本、船体の左右に外輪が見えます。

新・観光丸は、長崎港周辺を巡る観光船となっていて乗船も可能です。クルーズ中は観光丸や長崎の歴史について大変丁寧な説明があります。


出航前に大砲のデモンストレーションがありました。

出島は今や長崎港と地続きになっています。出島の北側から扇のかたちの一部を望むことができます。

出島の入口です。長崎さるくのマスコットさるくちゃんもいます。「さるく」とは、長崎弁でまちをぶらぶら歩くという意味だそうです。

出島で最も大きな建物であるカピタン部屋です。

カピタン部屋2階にある涼所。カピタン部屋でも海を間近にのぞめるのはこの場所だけだったようです。今は向かいの建物しか見えませんが。

一番船船長の部屋。和洋折衷です。

日本人役人の詰所である乙名部屋です。

住友別子銅山の棹銅入箱。ひと箱60キログラムで、輸出用に出島に運ばれ銅蔵に保管されていました。銅は日本の重要な輸出品で、五代友厚書簡にも、蒸気船の代金を現金のほか銅で支払う旨書かれているものがあります。

出島で使われていた襖紙です。これらを含め、当時の様子を再現するため調査に調査を重ね、非常な努力で復元作業を進めているそうです。

出島を再現した15分の1のミニチュアもあって、全体の様子がよくわかります。それにしても、この島内だけで暮らすのはさぞや窮屈だったろうと思います。安政4年に自由に長崎の町を歩けるようになった際のオランダ人たちの喜びはいかようだったでしょう。


陸続きとなって一度は消えた出島と長崎の町を結ぶ橋も復元されようとしていました。


<住所>
海軍伝習所及び長崎奉行所西役所跡:長崎市江戸町2-13(長崎県庁本館)
南蛮船来航の波止場跡:長崎市江戸町2-13(長崎県庁第3別館、旧長崎警察署)
観光丸:長崎市元船町17-3 長崎港ターミナルビル
出島:長崎県長崎市出島町6-1