パークス襲撃事件にまつわる場所を訪ねて、京都を歩きました。
I visited some places in Kyoto to see the scene of an assassination attempt on the British diplomat Sir Harry Parkes.
八坂神社の鳥居をくぐり、円山公園に入ります。

中井弘の銅像です。八坂神社北側に料理屋の並ぶ通りがありますが、その向かい側の緑地の中にあります。中井弘は、英公使パークスが襲撃された際、犯人の朱雀操と刀を交え最後は首を刎ねました。そのとき双方が使った刀が京都国立博物館に残されています。中井弘は、明治26年から1年足らずですが、京都府知事もつとめました。五代友厚とも親交の厚かった人です。

八坂神社の北東に知恩院があります。イギリ公使ハリー・パークス(Harry Parkes)一行が宿泊した浄土宗の寺です。非常に大きな寺で、薩摩候島津久光が上京の折、ここを宿舎にしたこともあったようです。パークス、ミットフォード(Mitford)、サトウ(Satow)らが宿泊していたときは、尾張、熊本、阿波が警護しました。

慶応4年2月30日(1868年3月23日)、パークスらは謁見式のため知恩院を出発し御所に向かいました。知恩院三門から西へ向かって知恩院道という大きな坂道を下ります。知恩院新門前の信号を渡ると新橋通につながります。

白川にかかる巽橋を渡った三叉路に辰巳神社があります。右手が新橋通の続きです。

新橋は祇園発祥の地といわれ、花街らしい雰囲気がただよいます。

新橋通が大和大路通につきあたったところで右(北)に曲がります。大和大路は三条から四条のあいだを特に縄手通と呼び習わします。一行は新門前通と交わるあたりで襲撃されたといいます。中井弘や後藤象二郎が応戦し、パークスは無事でした。

三条大橋を渡って京都御所に向かいます。

京都御苑外郭九門のひとつ、蛤御門から入りました。禁門の変の激戦地として知られています。

門には弾傷らしき跡も残っています。

御所を見学する際の出入口は清所門です。以前は春と秋の一般公開時しか見学できませんでしたが、今は一年を通して参観可能です。入口で入門証を受け取ります。
外国公使らが謁見の際出入りした建春門です。

紫宸殿です。最も格式の高い正殿で、謁見もここで行われました。パークスに同行したミットフォードは、「簡素でありながら栄光と威厳に満ちていた点において、深く印象に残るものであった」と書いています。

小御所会議が開かれた小御所です。

御所のすぐ北にある相国寺です。謁見のため上京したフランス公使ロッシュらが宿泊した寺で、薩摩藩が警護や接待役をつとめました。


仏将校パリ(Pâris)はこの寺に滞在したときの様子として、「いつもわれわれと一緒にいた若い将校・・・はもっともヨーロッパ化された男で、ワイシャツを着、付け外しができるカラーを付け、フロックコートを羽織っていた」と言っています。これはおそらく五代友厚のことでしょう。
相国寺の法堂です。


相国寺に隣接して同志社大学があります。幕末のころ、このあたりは薩摩藩邸でした。

<住所>
中井弘銅像:京都市東山区祇園町北側円山公園内
知恩院:京都市東山区林下町400
パークス遭難地:京都市東山区弁財天町(新門前通縄手)
京都御所:京都市上京区京都御苑
相国寺:京都市上京区相国寺門前町(今出川通烏丸東入)