五代友厚 堺紡績所と高師浜(2)
Godai Tomoatsu, Sakai Spinning Mill & Takashinohama (2)

高師浜
高師浜(和泉名所図会巻之三)

堺は古くから白砂青松の景勝地として知られ、大阪から近いこともあって、明治時代には大浜や浜寺に一力楼などの料理旅館が並び観光や遊興の客で賑わっていた。五代友厚も馬の遠乗りに出かけたり、接待に使ったりとたびたび堺を訪れていたようだ。

仏艦長アベル・デュ・プティ=トゥアール(Abel du Petit-Thouars)の日記には、堺事件から約1ヶ月後のある日、伊達宗城から誘いがあり五代が迎えにきて、英書記官アルジャーノン・ミットフォード(Algernon Mitford)とともに堺付近の一軒の茶屋に案内され、外国事務局の日本人たちと大変楽しいときを過ごしたとある。

堺は、維新後しばらく大阪府の管轄だったが、慶応4年6月22日(1868年8月10日)に独立して堺県となった。明治3年より薩摩藩の税所篤が知事を務め、県庁は明治4年から本願寺堺別院におかれた。

税所篤は大久保利通と非常に近しく、また、税所と五代は同時期に長崎海軍伝習所へ派遣されていたことがある。大久保は大阪に来ると必ず税所と会い、五代も同道することが多かった。大久保は岩倉使節団の一員として欧米を歴訪し明治6年5月に帰国したが、しばらく政府には出仕せず、8月から9月にかけて箱根や富士山、関西方面に旅行に出かけている。このとき大久保は税所と連れ立って堺の高師浜を訪れた。士族救済のため松が伐採されているのを見た大久保は、美しい松林の消失を嘆き次のような歌を詠んだという。

「音に聞く 高師浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」

Sakai was widely known for the beauty of its white sand and pine trees.   In the spring of 1868, French captain Petit-Thouars and English Diplomat Mitford made an excursion to Sakai with some Japanese staff members of Foreign Affairs Office.

<参考文献>
アベル・デュプティ=トゥアール著 森本英夫訳『フランス艦長の見た堺事件』1993年
堺市ホームページ http://www.city.sakai.lg.jp/index.html

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