五代友厚 神戸居留地(1)
Godai Tomoatsu, Kobe Foreign Settlement (1)

兵神市街之図
兵神市街之図 明治13年 Hiogo and Kobe Map (University of California)

兵庫(神戸)は、1868年1月1日に開港した。当初1863年1月1日の開港予定であったが、朝廷の反対や国内の諸事情で折り合いがつかず、幕府は文久遣欧使節をヨーロッパ諸国に派遣して兵庫・新潟・大阪・江戸の開港市を5年間延期することに成功した。

使節の正使は竹内保徳、他に柴田剛中(しばたたけなか)、福沢諭吉、寺島宗則などが同行した。帰国後、柴田は外国奉行として函館で勤務していたが、製鉄所及び軍制調査のため慶応元年(1865年)に再び英仏へ派遣された。同年ヨーロッパを訪れていた五代友厚は、慶応元年の暮れから年始にかけて、柴田と同じロンドンのランガム・ホテル(The Langham Hotel)に滞在した。幕府から海外渡航が禁止されていた時代、五代らは変名を使って密航というかたちで渡欧しており、柴田一行は幕吏であったから、五代は幕府から尋問を受けた際の申し開きまで考えていたが、結局五代らの滞欧が問題になることはなかったようだ。

柴田は慶応3年、大坂町奉行、兵庫奉行を兼務して兵庫・大阪の開港市や外国人居留地問題に取り組んでいた。兵庫(神戸)においては、運上所や居留地、埠頭の造成、西国往還の付け替えなどを進め、慶応3年12月7日(1868年1月1日)の大阪・兵庫開港市式典に出席している。しかし、慶応4年1月3日に鳥羽・伏見の戦いが始まり、6日に徳川慶喜が大阪から江戸へ敗走すると、柴田も10日に兵庫を脱出した。運上所は仮の外国公使館として委譲され、居留地の警護は各国に任されていたが、翌11日に神戸事件が起きる。その後、兵庫運上所を伊藤博文、大阪運上所を五代友厚が、新政府の外国事務掛として引き継ぐこととなった。

A shogunate official, Shibata Takenaka devoted himself to make the necessary arrangements for opening the ports of Kobe and Osaka. The ports finally opened in 1st January 1868 but the regime changed soon later. His place was taken over by the officials of new government, Ito Hirobumi and Godai Tomoatsu.

<参考文献>
神戸市文書館ホームページ http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/top.html
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
宮永孝「イギリスにおける柴田日向守」『法政大学社会労働研究』1999-3

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