五代友厚 神戸事件(1)
Godai Tomoatsu, The Kobe Incident (1)

三の宮
三の宮(若林秀岳『神戸覧古』) Sannomiya, Kobe

新納久脩と五代友厚、そしてシャルル・ド・モンブラン(Charles de Montblanc)は、鹿児島を出て、慶応3年12月28日(1868年1月22日)夕方兵庫に着港した。年が明けて1月3日に鳥羽・伏見の戦い、1月4日に兵庫沖で海戦が起こり、戊辰戦争の幕が開ける一方、神戸では1月11日(1868年2月4日)にいわゆる「神戸事件」が発生する。この事件は、備前藩と外国人とのあいだで銃撃戦がおこり外交問題に発展したもので、五代は急遽「外国談判の儀に付」上阪を仰せ付けられた。

家老日置帯刀(ひきたてわき)が率いる備前藩の兵は、新政府より摂津西宮の警護を命じられ、大砲をともない岡山から陸路で移動していた。その途中、神戸三宮神社付近で欧米人が日置の隊列を横切ったため、槍で制止しようとしたところ傷を負わせ、その後居留地予定地の検分をしていた外国公使たちも巻き込んでの銃撃戦となった。神戸はひと月ほど前に開港したばかりで沖には外国艦船が碇泊中であったため、各国の守備兵が上陸、居留地を軍事的に占拠し、諸藩の汽船は拿捕されて一時騒然としたという。

この状況の中、五代は、外国事務総督東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)、伊達宗城(だてむねなり)のもと、伊藤博文らとともに各国公使との折衝にあたる。薩摩藩からは、伊地知貞馨、岩下方平、吉井友実、寺島宗則、小松帯刀、中井弘らが京阪神に会同していた。また、彼らの書簡や日記には、白山の名でモンブランがしばしば登場しており、事件解決に協力していたことがうかがえる。

Godai Tomoatsu was called by the new government to handle the “Kobe Incident” which occurred in 4th February 1868.  The incident was first a gun battle between Bizen troops and some foreign sailors but developed into the serious international diplomatic problem at the end.

<参考文献>
鹿児島県史料刊行会『小松帯刀日記』1981年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
日本史籍協会編『伊達宗城在京日記』1916年
村田誠治『神戸開港三十年史 上巻』1898年

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