
五代友厚が兵庫に到着して数日後、兵庫沖で幕艦が薩船に大砲を放
外国人公使らとのやり取りにもふれ、1月1日には英国岡士代ラウダ(John Frederic Lowder)方で江戸の様子を知り、2日夜はラウダとウユート
手紙に出てくる外国人と五代は長崎で出会っている。手紙の受取人3名も長崎在勤の薩摩藩士だった。彼らにとって、外国人との交流は日常茶飯だったと思われるが、攘夷意識の強い藩士がもしこの手紙を見たら、心中穏やかではいられなかったかもし
五代は「港内三里余の内にては・・・
On 30th January, 1868, Godai Tomoatsu who was on the ship “Kaimon-maru” wrote a letter to three Satsuma Samurais in Nagasaki in order to report the details of the naval battle occurred off the coast of Hyogo and Kobe.
<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
村田誠治編『神戸開港三十年史 上巻』1898年