五代友厚 造幣局と桜(1)
Godai Tomoatsu, The Mint and the Cherry Trees (1)

明治時代の桜の通り抜け
明治時代の桜の通り抜け(『造幣局のあゆみ』より)”Sakura Walk-Through” in the Meiji Era

明治4年(1871年)に開業した造幣寮は、明治10年(1877年)、造幣局へと改称された。大阪の春の風物詩ともいえる造幣局の「桜の通り抜け」は、明治16年(1883年)開始で、明治17年4月18日の新聞には「当造幣局の桜花は昨今が満開に付明十九日より三日間局内桜花縦覧の為め天満橋の表門より源八渡場の裏門へ諸人の通行を許さるるよし」とある。初めは「桜花縦覧」と呼んでいたようだが、北向き一方通行であることは今と変わりない。

造幣局の桜を一般開放するよう指示したのは、当時の局長遠藤謹助だったという。遠藤は、五代友厚らと同時期に英国留学していた長州人で、イギリスにおいては薩長留学生の交流もかなりあったようだ。五代は造幣局と関わりが深かったので、桜の通り抜けに一役買った可能性もあるが、そこははっきりしない。しかし、造幣局の前を流れる大川に舟で桜狩に行ったという話は残っていて、途中別の舟に乗る陸奥宗光(むつむねみつ)と遭遇し、ともに花見を楽しんだという。五代と陸奥は川口運上所時代の同僚であった。

このとき、昼に川を遡るときは船番所の役人が仔細に携帯品を検査したのに、夜に川を下って帰る際は、役人が番所から出て来さえしなかったことから、五代は「凶漢悪徒の多い夜間こそ一層警戒すべし」と叱責したという。川口運上所長だった五代は、密入国や密貿易に目を光らせていたこともあり、また当時大阪には強盗が多く市中怯々としていたというから、番所のふがいなさに苦言を呈さずにはいられなかったのだろう。

The Japan Mint is famous for its “Sakura (cherry blossom trees) walk-through” which was built in 1871.  These trees stretch along the Okawa river and the cherry blossoms can be viewed from the boat, as Godai Tomoatsu did during the Meiji Period.

<参考文献>
『朝日新聞 大阪』明治17年4月18日 朝刊
五代友厚七十五周年追悼記念刊行会『五代友厚秘史』1960年
五代龍作編『五代友厚伝』1933年
造幣局のあゆみ編集委員会「造幣局のあゆみ 改訂版」2010年

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