大阪市北区の造幣局内にある造幣博物館に行きました。
I visited the Mint Museum in Osaka. There we can see how Godai Tomoatsu contributed to the new monetary system and the Mint.
入口は、桜宮橋西詰の正門もしくは北門で、詰所で名前を書いてから中に入ります。南門からは入れません。「桜の通り抜け」の際は南門から入り北門へ抜けますが、通り抜け期間中、博物館は閉館しています。
博物館に向かう途中、旧正門を見ることができます。

八角形の建物は、衛兵詰所として使われていたそうです。

鉄柵は、菊花と大阪の「大」の字が交互にデザインされています。この柵は、動物園で使われる予定だったものを、その計画が頓挫したため造幣局が譲り受けたのだそうです。ヨーロッパで動物園を見てきた五代友厚がアイデアを出していたかもしれません。


造幣博物館は、明治44年(1911年)に建てられた火力発電所を改装したもので、造幣局内に残る唯一のレンガ造りの建物です。博物館入口付近に鉄製の大型機械が2台展示されています。黒い機械が、香港造幣局で使われていたフランス製圧印機です。五代友厚らの仲介で、グラバー商会を通して購入しました。

入ってすぐのところにある、創業当時の造幣寮の模型。敷地面積は現在の2倍強もあったそうです。大きすぎて一枚の写真におさまりませんでした。

造幣局開業に携わった政府高官やお雇い外国人たちの肖像レリーフが多数あります。五代友厚のレリーフももちろんありました。

二代目長谷川小信とお雇い外国人マンチニ(C. N. Mancini)が描いた創業間もないころの造幣寮。


マンチニは長崎でホテルなども経営していたようです。また、マンチニ夫人(J. R. Mancini)は、マンチニの死後ドレウェル氏(A. Drewell)と再婚し、神戸異人館にある「ラインの館」に住んでいました。
試作貨幣
彫金家加納夏雄が手彫りで作製したもの。

イギリス製天秤
明治初期、試験分析に使用していました。

我国最古のガス燈
構内に計686基が設置されていました。夜にガス燈が灯る様を人々が見物に来たといいます。

オリエンタル・バンクとの約定書及び条約覚書

御雇外国人名簿
雇入年月日や給料なども書かれています。

五代友厚から貨幣司に宛てて送った文書(写)
造幣機械が港に到着したことを伝えています。

資料室には、五代友厚関係の本もいくつかおいてありました。
<住所>
造幣局(本局):大阪市北区天満1-1-79