五代友厚 造幣寮創業(1)
Godai Tomoatsu, Foundation of the Imperial Mint (1)

造幣寮の位置
大阪川崎村に設立された造幣寮の位置 The Location of the Imperial Mint, Osaka

明治政府は、慶応4年閏4月21日(1868年6月11日)、会計官中に貨幣司を設け、政費の不足を補うと同時に、混乱していた幣制の建て直しをはかる。近代的統一国家建設のためには純正画一な新貨幣の製造が必要不可欠であるとし、英国領香港より機械を購入し、造幣工場を設立することを決めた。大阪遷都論を背景に商都大阪がその地に選ばれ、明治2年の東京首都移転の際にはすでに大阪で建設が進んでいた。

1866年に開業した香港造幣局(The Hong Kong Mint)は、その貨幣が中国人に受け入れられることなく、2年足らずで閉鎖。土地と機械はジャーディン・マセソン商会(Jardine Matheson & Co.)に売却され、日本はジャーディン・マセソン商会の長崎代理店であったグラバー商会(Glover Trading Company)からこの機械を購入した。当時外国事務局権判事であった五代友厚ほか小松帯刀、寺島宗則らがこれを仲介した。また、同じ鹿児島藩の上野景範が香港に派遣され、設置にあたっては水利と土地面積を第一に考えるよう知らせてきたため、建設地として川崎村(現在の大阪市北区天満)が選ばれた。

慶応4年8月30日(1868年10月15日)、注文の機械が天保山沖に到着した旨五代友厚より貨幣局に通知があり、9月19日に陸揚げが完了している。同じ頃、グラバーの紹介でトーマス・ウォートルス(Thomas James Waters)を造幣工場の建築技師として迎え入れることが決まっていた。ウォートルスは1842年生まれのアイルランド人で、当時26歳。1864年ごろ来日して白砂糖工場など薩摩藩の西洋建築工事に関わり、上野景範がその通訳をしていたこともあるというから五代らも見知っていた人物であろう。

In 1868, Meiji government decided to found the Imperial Mint in Osaka.  Godai Tomoatsu mediated a deal of mintage machinery between Japanese government and the Hong Kong Mint.

<参考文献>
造幣局のあゆみ編集委員会『造幣局のあゆみ 改訂版』2010年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』1974年
藤野明「野に下った五代友厚 ー造幣寮と金銀分析所をめぐってー」『大阪の歴史18』1986
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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