五代友厚 大阪へ(2)
Godai Tomoatsu, To Osaka (2)

阪府外国事務日誌神戸、堺、京都で相次いだ攘夷事件対処のため、外国事務局は当初大阪におかれた。外国事務総督伊達宗城は、慶応4年2月3日(1868年2月25日)より旧西町奉行所で執務を開始、3月7日には旧東町奉行所に移る。

一方、安治川と木津川が交わる大阪川口に運上所をおくことが決まり、五代友厚は陸奥陽之助ともに準備に奔走する。5月より大阪の外交事務及び関税事務いっさいはここで取り扱うこととなった。

閏4月21日に外国事務局は外国官と改められ、五代は5月4日付で外国官権判事(ごんのはんじ)になる。このとき同僚であった陸奥陽之助が会計官権判事に転じたため、西園寺雪江が後任に就いた。後に第七代大阪商業会議所会頭となる土居通夫も、この頃五代の部下として運上所に勤務している。

五代は5月24日に大阪府権判事兼勤、6月5日には大阪府権判事を本官とし外国官権判事を兼勤とする辞令が下りた。これは、旧西町奉行所にあった大阪府庁が6月2日に旧東町奉行所に移り、旧東町奉行所にあった外国局が6月29日京都に移ったことと関係するだろう。

大阪は7月15日をもって開市から開港となった。川口運上所のすぐ東側を外国人居留地と定め、その造成や競売を五代が采配した。競売は7月29日に行われたが、大阪居留地は神戸居留地のおよそ倍の値がつき、当初外国人が大阪により多くの望みを持っていたことがうかがえる。

しかし、川口は底浅く幅狭く港としては不適で、大型の外国船は沖合での碇泊を余儀なくされた。そのため五代は港の浚渫を企図し、毎日3,000人の人夫を使って碇泊所を造る。おおむね完了した12月24日に川口運上所を大阪外国事務局と改称し、碇泊所に関税事務を扱う大阪運上所を設けた。

なお、9月15日に五代は大阪府判事に昇進している。

Godai Tomoatsu was appointed to the responsible position of the Osaka Kawaguchi Unjosho (a delivery office at a harbour), which was established in May, 1868.  He dealt with all the foreign affairs in Osaka including customs, rulemaking and the development of foreign settlement.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
堀田暁生・西口忠編『大阪川口居留地の研究』1995年
三上昭美「外務省設置の経緯-わが国外政機構の歴史的研究 (1)-」『国際政治 (26)』1964年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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