五代友厚 大阪へ(1)
Godai Tomoatsu, To Osaka (1)

明治元年外国官関係略歴録
明治元年外国官関係略歴録(国立国会図書館デジタルコレクション) Foreign Affairs Office Biographical Record, 1868

五代友厚は、慶応4年1月13日(1868年2月6日)、太政官達及び薩摩藩通達により「外国談判の儀に付」大阪行きを命じられた。

これより先、五代は慶応3年12月28日(1868年1月22日)兵庫に着船していたが、明けて慶応4年1月3日(1868年1月26日)に鳥羽伏見の戦が始まったため、そのまま兵庫に留まざるを得ない状況となっていた。そして、1月11日に神戸事件が起こる。備前藩重臣が三宮神社付近を通過するにあたり、外国人兵がその行列を横切ったため、銃撃戦となったものである。五代が大阪に呼ばれたのはこの対応のためであった。

続いて2月15日には、堺の警備にあたっていた土佐藩士がフランス兵11人を殺傷する事件が起きた。五代はこの堺事件の調停にも奔走した。堺事件が、加害者の割腹により一応の収拾をみたのもつかの間、2月晦日には、京都で英公使パークス襲撃事件が起きる。この日は、京都において各国公使の参内が予定されていた。五代は小松帯刀とともに仏公使ロッシュの護衛を担当していたが、即座に変事の対応にあたり、各国公使の慰留に努めるなどして、謁見は3月3日に無事終了した。

これら国際事件に対応するため、慶応4年1月17日(1868年2月10日)に外国事務科が設けられ、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)ら事務総督4名及び事務掛2名が任命された。五代は、1月23日に徴士参与兼外国事務掛を仰せ付けられている。さらに、2月3日の三職八局の制発令にともない、五代は2月20日付で徴士参与職外国事務局判事となった。

Godai Tomoatsu was transferred to Osaka to serve as an officer of foreign affairs office under the new Meiji government.  He played an active part in resolving diplomatic issues occurred in Kobe, Sakai and Kyoto in 1868.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
三上昭美「外務省設置の経緯-わが国外政機構の歴史的研究 (1)-」『国際政治 (26)』1964年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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