五代友厚 大阪薩摩藩屋敷(1)
Godai Tomoatsu, Osaka Kurayashiki (1)

1864年の大阪
1864年の大阪 Osaka, 1864 (Illustrated London News, 13 August 1864)

五代友厚は安政元年(1854年)、数えで二十歳のときに、薩摩藩の郡方書役(こおりかたかきやく)に出仕した。安政4年(1857年)2月からは、藩命により長崎に留学し、海軍伝習所で西洋式の航海、砲術、測量、数学などを学んだ。翌年、藩主島津斉彬の死去にともない一時薩摩に帰るも、安政6年(1859年)5月より再び藩命により長崎に遊学。

文久2年(1862年)1月より長崎にて薩摩藩の御船奉行副役(おふねぶぎょうそえやく)となる。この職にある間、2度にわたり上海に渡航した。文久3年(1863年)の薩英戦争の際、乗船していた天祐丸(てんゆうまる)が拿捕され、捕虜となり、釈放された後しばらく武州熊谷および長崎で潜伏生活を送っていた。潜伏中グラバー邸などに出入りするうち世界情勢を知るに至り、海外留学派遣に関する上申書を藩に提出したことをきっかけに、慶応元年(1865年)3月より欧州に渡航することとなった。

およそ1年後に帰国した五代は、長崎在勤の御納戸奉行(おなんどぶぎょう)格の御用人外国掛となり、パリ万国博覧会や欧州でモンブランと交わした商社計画などの実現に務める一方、薩摩藩の輸送船開聞丸(かいもんまる)に乗りこんで藩際貿易に携わり、薩摩、長崎、馬関、兵庫、大阪など各地を行き来していた。米や薩摩の特産品である砂糖のほか、欧州で購入してきた武器や弾薬を他藩に売りこみ薩摩藩の利益を図った。

Godai Tomoatsu started his career at his age 18 in Kagoshima. Three years later, he moved to Nagasaki to study western style science and technology at the Nagasaki Naval Training Centre. From then on, basing himself in Nagasaki, he worked for the Shimazu Clan as a feudal retainer of Satsuma Domain. He also went on an inspection tour to Europe in 1865 under the orders of Shimazu Clan.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
宮本又次『五代友厚伝』1980年

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