
1865年9月16日のマクルズフィールド・クーリエ&ヘラルド紙(Macclesfield Courier & Herald)に、五代友厚らがオルダリー・エッジ(Alderley Edge)の銅山を訪問したときの様子が非常に詳しく書かれているので、ここに紹介したい。
五代らは、イギリス国内視察旅行中の1865年8月19日(慶応元年6月28日)、マンチェスター(Manchester)にほど近いマクルズフィールド(Macclesfield)を訪れたが、その際隣町のオルダリー・エッジにある銅山に招待された。大方の国内視察を終えロンドンに戻る途中と思われる1865年9月9日(慶応元年7月20日)、五代らはオルダリー・エッジ鉱業会社(The Alderley Edge Mining Company)代表チャールズ・プロクター(Charles Proctor)の招待を受け、オルダリー・エッジの銅山に立ち寄ることにする。グラバー商会のライル・ホーム(Ryle Holme)と神奈川のポルトガル領事だったイギリス人、エドワード・クラーク(Edward Clarke)も一緒だった。
この五代らの訪問にあわせ、オルダリー・エッジの名士をはじめとした100人もの見物人が集まり、共に銅山を見て回ったという。レディー・スタンレー(Lady Stanley)とレディー・アンバリー(Lady Amberley)などスタンレー家(Stanley Family)の人々も加わった。スタンレー家は、オルダリー・エッジの土地の大半を所有していた領主で、その一員であるレディー・スタンレーとレディー・アンバリーはともに婦人参政権など女性の地位向上に尽力していた。それもあってか、この銅山見学には女性の「力強い一団」が同道したと新聞に書かれている。明治時代に炭坑事業に乗り出した広岡浅子はもとより、女性が鉱山に入ることはそれだけでニュースになった時代だったのだろう。
According to the article in Macclesfield Courier & Herald, Godai Tomoatsu visited Alderley Edge on 9 September 1865 to made an inspection of copper mines. Nearly a hundred local people, including members of Stanley Family, accompanied them.
<参考文献>
Elizabeth Crawford, “The Women’s Suffrage Movement: A Reference Guide 1866-1928”, 1999
Macclesfield Courier & Herald, 16 September 1865