五代友厚 英国視察旅行(2)
Godai Tomoatsu, A Tour of Observation around Britain (2)

アバディーン・ジャーナル1865年8月30日 Aberdeen Journal 30 August 1865
アバディーン・ジャーナル1865年8月30日 Aberdeen Journal 30 August 1865

1865年8月30日付アバディーン・ジャーナル紙(The Aberdeen Journal, 30 August 1865)には、グラバー商会が注文した船「Owari」の進水式が22日火曜日に行われたという記事があり、英国滞在中の4人の日本人士官がこれに立ち会ったと伝えている。この4人が五代友厚、新納久脩、堀孝之、磯永彦輔であった可能性は高い。「Owari」はこの後日本に売却され千歳丸(二代目)と命名された。ちなみに、五代友厚がこれより前に上海へ渡航した折に乗り込んだ船の名も千歳丸(初代)である。

ロンドンに戻る途中と思われる慶応元年7月20日(新暦1865年9月9日)には、五代らがマンチェスターの南約25キロのオルダリー・エッジ(Alderley Edge)の銅山を見学したことが新聞で報じられている。ロンドン帰着後すぐフランスのシャルル・ド・モンブラン(Charles de Montblanc)がやってきて、それから間もなく彼らはヨーロッパ大陸に出かけた。薩摩藩留学生のひとり森有礼が兄、横山安武に宛てて書いた手紙に、五代らが「大ブリタニア中之廻国に出越有之五日已前ニ帰着相成、又々仏蘭及ひ独逸和蘭等の諸国を遍歴し其後英ニ復帰し、然後帰国之賦御座候」とあるから、ロンドンには5日以上滞在したようである。

五代らのヨーロッパ大陸出発は7月24日(新暦9月13日)という説もあるが、オルダリー・エッジを訪れた7月20日(新暦9月9日)の翌日にロンドンに戻ったとしても出発まで5日に満たない。一方、五代友厚が桂久武に宛てて書いた手紙には「八月二日、竜動(=ロンドン)府を発し『ヴェルギー』国都府より、独逸列国孛漏生(=プロシア)都府、和蘭諸所一周」とある。慶応元年8月2日(新暦1865年9月21日)は木曜日で、五代自身が記した『廻国日記』の「水曜日。朝、竜動客舎を立て、七時半発車」の記述とは曜日にずれが見られるが、日程的には8月1日もしくは2日に出発したとみる方が無理はなさそうだ。

The Aberdeen Journal reported on 30th August 1865 that four Japanese officers attended the launching ceremony of the vessel ordered by Messrs. Glover. Godai returned to London around 10th September 1865, and soon after, they left for Continental Europe for another inspection tour.

<参考文献>
大久保利謙「五代友厚の欧行と、彼の滞欧手記『廻国日記』について」『史苑/立教大学史学会編』1962-01
大久保利謙監修『新修森有禮全集第4巻』「畠山義成洋行日記抄」「英國新聞記事集」1994年
大久保利謙編『森有禮全集第2巻』1972年
勝部真長他編『勝海舟全集13』1974年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
The Aberdeen Journal, 30 August 1865

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